戸坂が「私のいちばん好きな骨です」という蝶形骨(模型)。頭蓋骨の中の、ちょうど目の裏あたりにある。レース細工のように美しいその骨は、まるで自然が生み出した美術工芸品のようだ(撮影/楠本涼)
戸坂が「私のいちばん好きな骨です」という蝶形骨(模型)。頭蓋骨の中の、ちょうど目の裏あたりにある。レース細工のように美しいその骨は、まるで自然が生み出した美術工芸品のようだ(撮影/楠本涼)

 じっと見ていると、頭蓋骨は現代の日本人と違うことは素人目にも分かる。下顎部ががっちりして彫りが深く、顔が方形なところは南方のアジア人に重なる。2万7千年前に黒潮にのって石垣島に流れ着いたのだろうか。そんな勝手な想像を戸坂の前でつぶやいていると、別の頭蓋骨を持ってきて、「これ、明治時代の女性ですけど」と言いながら机の上に置いた。旧石器時代人と比べてみたら明らかに骨の形が違う。前歯が出ているし、全体的にのっぺりしているのだ。

「江戸から明治にかけて、とくに町人は前歯が出ている人が多かったので、今よりも突顎(出っ歯など)の傾向が見られます。江戸時代の前期は下顎もしっかりしていて四角い骨格が多く見られますが中期頃から町人と武家階級に違いが出てくるんです。町人はあまり変化せず中世の顔に近いのに、武家階級は顎がどんどん細くなり、鼻が高くて歯並びが悪く、眼窩(がんか)が丸くて高くなっていきます。戦うことから、学問に移行していったのでしょう。現代人は武家階級に限りなく近い人が多いと言われています」

 これはヨーロッパ貴族も同じで、やはり全体的に面長で鼻が高くなっていくという。人類は生活環境に合わせて常に骨格を変えているのだ。

■クラスメートの突然の死 生と死について煩悶する

 戸坂は再び頭蓋骨に向き合った。沈黙が続く。

 完成はまだまだ先だというのに、肉付けされていくにつれてなぜか気配のようなものが伝わってくるのが不思議だ。人間の頭蓋骨だから? いや、これが復顔師の技なのかもしれない。

 それにしても、なぜ復顔師になろうとしたのだろう。戸坂が語るその生い立ちは、まるで偶然のつらなりのように聞こえる。

 小学5年生の時にクラスメートの1人が突然亡くなったこともそうだ。

 親しい友達というわけではなかったが、その話を聞いた夜、うどんを食べようとしても食べられず、いきなり涙があふれてきた。意識下で体が死に反応したことに、戸坂は衝撃を受けた。なぜ死ぬのだろう。なぜ生きているのだろう。答えのない煩悶(はんもん)を繰り返すなかで、手を差し伸べたのが文学や哲学が好きだった父親だったという。

「そんな私に、生と死について、親鸞やキリスト、仏陀(ぶった)の教えを分かりやすく説明してくれました。父とのそんな対話は高校3年までずっと続きましたが、特に中学時代が多かった」

 高校は芸術コースのある高校だったので、東京藝術大学を選んだのは自然の成り行きだったが、彫刻科を選択したのは、高校2年の冬に、「眼で触れる、手で触れる─いのちのかたち」彫刻展を見て、「目の見えない人でも、手で触って形を感じられることに感動した」からだ。

 東京藝大に入学すると、「死というより、むしろ死を通じて生じた恐怖や悲しみにどう向き合うかが自分のテーマになった」という。修士論文のテーマに、ミケランジェロのピエタ(キリストが亡くなって嘆き悲しむマリア)を選んだのもそんな思いからだろう。これも父の影響だろうか。

 卒業後は大学院に進学するが、人間についてもっと知りたかった戸坂は、彫刻を極めるより「物理的に人体の構造を理解したい」と、美術研究科芸術学の美術解剖学(芸術家のための解剖学)を受験しなおした。

「復顔」を知るのは博士課程2年目の2011年である。

(文中敬称略)

(文・奥野修司)

※記事の続きはAERA 2023年7月31日号でご覧いただけます