巻頭で〈「吉田松陰」がもてはやされるのは、幸福な時代ではないように思う〉と著者は書く。〈松陰は没後、さまざまな政治的な理由により、偶像化された。特に、大正の終わりから戦時中までがひどい〉
 おもしろい。もっといって!
 一坂太郎『吉田松陰』は松陰が偶像化される過程を明かした快著。松陰が尊皇攘夷のシンボルとされた理由は副題で示されている。「久坂玄瑞が祭り上げた『英雄』」。本書が描く松陰と玄瑞の姿は私たちが知っている「幕末のヒーロー」像とひと味もふた味も違っている。
 山鹿流兵学の後継者として極端な英才教育を受け、9歳で長州藩の藩校・明倫館の教授見習いとなり、長じて脱藩したりアメリカ密入国を企てたりする松陰は〈「日本のため」という大義名分を自分の中に見つけたら、平気で道を踏み外す〉異端者だった。〈俗人離れした異端者だからこそ、没後は最も俗っぽい政治の場で利用された〉。忠君愛国の権化として〈大日本帝国にとって理想的な「教育者」に祭り上げ〉られる一方、〈国の要人を殺して物事を解決しようとする「テロリスト」としての一面〉は封印された。
 一方、松陰の妹・文を妻とした玄瑞は、さほど熱心な松下村塾の塾生ではなかったにもかかわらず、松陰が30歳で処刑された後は、あの手この手で松陰の神格化を図る。高杉晋作とともに「松下村塾の双璧」とされたが、同志に切腹を強要するなど〈他人の命を簡単に奪い、その死を演出して政治的に利用する〉ことも平気だった玄瑞。25歳で自決するも〈こうなると「志士」ではなく、冷徹な「政治家」である〉。
〈死者をシンボルとするのは、実に賢明だ。生身の人間は大抵メッキが剥がれるものだが、死者はいくらでも都合よく変身させることができる〉。大河ドラマ「花燃ゆ」などでは描かれないだろう幕末の志士の負の側面。もやもやが晴れた。思えば私たちは長州藩と明治政府の史劇に長くとらわれていたのである。

週刊朝日 2015年3月27日号

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