翌05年夏、両校は大阪大会準々決勝で対決し、今度は桐蔭が雪辱する。5回まで前田に2安打無得点と沈黙したが、6回1死二塁、平田が“清原超え”の高校通算65号となる逆転2ラン。6回表の打席で辻内から右肘に死球を受け、痛みをこらえながら投げつづけた前田は2対4の敗戦後、「死球を言い訳にしたくない。打たれたのは僕の力不足」と語っている。

 同年、夏の甲子園で4強入りした桐蔭は、現在も続く黄金時代に突入する。

 両校の最後の対決は、14年夏の大阪大会決勝戦。桐蔭は前年秋の大阪大会4回戦で履正社にコールド負けし、甲子園の春夏連続出場も「4」でストップ。この屈辱をバネに「まじめに一生懸命やってきた」(西谷浩一監督)結束力のチームだった。

 一方、PLも前年の不祥事により、監督は校長が兼任。サインは選手が出し、中川圭太主将(オリックス)以下、全員の力を結集して決勝まで勝ち上がってきた。

 ともに逆境から這い上がってきた両チームの甲子園をかけた決戦は、2回に打者10人の猛攻で5点を先行した桐蔭が9対1と大勝。桐蔭が完全にPLに取って代わったことを象徴するような結果となった。

 そして、これが両校最後の対戦となり、PLは16年夏を最後に休部となった。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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久保田龍雄

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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