当時中学生だった西岡剛(ロッテ阪神など)もPL志望だったが、「来たいなら来てもいいよ」と言わんばかりの対応にカチンと来て、「それならPLを見返してやる」と桐蔭に入学したという。その西岡が主将になった2002年夏、桐蔭は11年ぶりに夏の甲子園に出場。これが“主役交代劇”への第1歩となる。

 だが、PLの壁はまだ厚かった。翌03年夏は、大阪大会5回戦で対戦し、序盤に3点をリードも、5本塁打が飛び交う空中戦の末、6対8で打ち負けた。

 2日がかりの伝説の名勝負として、今も語り継がれているのが、04年夏の大阪大会だ。

 大阪桐蔭は2年生の4番・平田良介(中日)ら全国屈指の強力打線でダントツの大本命。“対抗”PLも4回戦以降は苦戦の連続ながら、準決勝の大商大堺戦で8点差をひっくり返すなど、驚異的な粘りで勝ち進み、甲子園出場をかけた決勝戦で、両校の対決が初めて実現する。

 大阪桐蔭は2年生左腕・辻内崇伸(巨人)、PLは前日2回途中6失点KOを喫したエース・中村圭が雪辱を期して先発した。

 序盤は桐蔭ペース。2回に敵失で勝ち越したあと、生島大輔の2ランで4対1とリードを広げ、勝負あったかに見えた。

 これに対し、PLも6回に1点を返すと、8回に4番・中倉裕人の2点タイムリーで追いつき、4対4のまま延長戦へ。桐蔭は3投手のリレーで守りきり、PLも3回以降立ち直った中村が15回214球を投げ抜いた。この結果、4時間9分の大熱戦は、大会決勝戦史上初の引き分け再試合となった。

 翌日、PLは1年生の前田健太(現ツインズ)が先発。2本塁打など上級生たちの援護で5回までに8対2とリードしたが、桐蔭も6回に満塁アーチで、あっという間に2点差に。

 直後、前日の中村の力投を思い出し、「情けないぞ」と気合を入れ直した前田は、空を見上げて大きく深呼吸した。これで力みが消え、9回1死一、二塁のピンチも、併殺でゲームセット。2日がかりの激闘の末、PLが2年連続の甲子園切符を手にした。

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絶対的王者の入れ替わりを象徴する試合は?