『アルツハイマー征服』は、研究の最先端に関する話を書いている。なのでさすがにChatGPTに英訳させるというのは難しいだろうと思っていた。私にとってはかつての機械翻訳のイメージがあまりに強すぎたのである。かつてのグーグル翻訳等の機械翻訳だと、いわば一対一対応的な直訳で、日本語にすると何を言っているのかわからない、というひどい代物だった。
しかし、ためしに、レカネマブのフェーズ3の結果がでる新章その4「ショーダウン」を貼り付けて、「商業出版のノンフィクション風に英訳してくれ」と命ずると、びっくりするほど流麗な英文になって出てきたのである。
しかも一瞬で。
もちろん、いくつかの専門用語の使い方など、人間の手による微調整は必要だが、6時間の工程が一気に1時間以内で済んでしまった。
生成AIのこの飛躍はどう説明したらいいのだろうか? あきらかにAIは大きな文脈を理解して訳しているように思える。
このように便利なChatGPTだが、欧米の出版界では警戒されている。海外翻訳権の契約書には、「テキストをChatGPTに読み込ませないこと」の条項が入ることが多くなっている。
その理由は、いったんAIが、その作家の文章をとりこめば、そのくせや文体を自分のものにして、たとえば「この短編小説を村上春樹風に書き換えてくれ」といったタスクをしてしまいかねないからだ。
かつて「her 世界でひとつの彼女」(2013年米)という映画で、AIと恋する男の話があった。対話をしているかぎり一対一の関係だと錯覚をしていたのが、ラストで、その彼女が641人の男と同時につきあっていたということが明かされるというオチだった。
オープンAIにはその危険性がある。
いかにオリジナルなものをつくるか、ということがこの仕事の要諦だ。それは著作権という言葉に置き換えられる。その著作権を侵す危険性があるものには、当然のことながら規制は必要だろう。
その規制がない今は、著者、出版社ともに、自衛をするしかない。
下山進(しもやま・すすむ)/ノンフィクション作家・上智大学新聞学科非常勤講師。メディア業界の構造変化や興廃を、綿密な取材をもとに鮮やかに描き、メディアのあるべき姿について発信してきた。主な著書に『2050年のメディア』(文春文庫)など。
※AERA 2023年7月17日号