民族衣装を着た女性たちと踊る黒田清子さん=2002年10月、クロアチア・ザグレブ
民族衣装を着た女性たちと踊る黒田清子さん=2002年10月、クロアチア・ザグレブ

 佳子さまの初の単独公務は、14年11月。19歳でのデビューだった。1年前に姉の眞子さんも出席した「少年の主張全国大会」で、隣に座ったのは大会の審査委員長を務めた漫画家の故・松本零士さん。記者から感想をたずねられた松本さんは、

「佳子さまがいらっしゃると会場がパッと明るくなりました。出場した中学生のスピーチにも熱心に耳を傾け、佳子さまの存在がまさに出場者の励みになっていました」

 と佳子さまを大絶賛。若い女性皇族のデビューを温かく見守る気持ちが伝わる言葉だった。

■本格的に公務に携わった内親王

 愛子さまの場合、大学入学の年に新型コロナの感染が広がり、公務に挑戦するタイミングがなかなか訪れなかった。そのため、コロナ禍が落ち着いたいま、期待が高まっている。

 しかし、皇族として生まれ育った内親王や女王らが公務に取り組むようになったのは、そう昔のことではない。

 本格的に公務に携わった内親王として知られるのが、上皇ご夫妻の長女・黒田清子さん(54)だ。元宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司さんは、こう振り返る。

「戦後の皇室において、内親王や女王が公務に携わることは長い間、意識されていなかったと言っていいでしょう。特に1960年代年までは、20~22歳で結婚なさっています。かつては成年を迎えるとすぐに結婚するものだと、皇室内でも一般社会でも認識されていたからです」

 だからこそ、清子さんが本格的に公務に取り組み、国内にとどまらず海外を訪問し、その国の王室や人々との関係を築いた意味は大きかった。

 清子さんが結婚した05年。12月の誕生日の会見で上皇さまは、

「清子は皇族として、国の内外の公務に精一杯取り組むことに心掛け、務めを果たしてきました」

 と、評価したうえで、皇室で女性が果たした役割についての質問に、次のように答えた。

「私の皇室に対する考え方は、天皇及び皇族は、国民と苦楽を共にすることに努め、国民の幸せを願いつつ務めを果たしていくことが、皇室の在り方として望ましいということであり、またこの在り方が皇室の伝統ではないかと考えているということです。

暮らしとモノ班 for promotion
2024年の『このミス』大賞作品は?あの映像化人気シリーズも受賞作品って知ってた?
次のページ
先鞭をつけた彬子さま