田村さんに部長職の打診があったのは、それから間もないタイミングのことだった。20代から仕事中心の生活を送ってきて、必死に努力もしてきた。同僚が結婚や出産を機に会社を辞めたり、仕事をペースダウンして家庭と両立する姿を横目に、常に第一線に立ってここまで踏ん張ってきた。昇進はこれから先のキャリアにおいても、きっとプラスに働く。

 凍結している卵子のことがふと頭をよぎるも、二つ返事で承諾し、部長職についた。責任あるポジションを任され、日々の仕事はやりがいがあって充実していた。それまでにも増して、仕事中心の生活が始まった。

■待ちに待ったタイミングのはずだったが…

 子どもを産むなら、悠長なことを言っていられないタイミングが迫っていることは自覚していた。長年の不妊治療を続けた末に、授かることを諦めた同い年の友人もいる。同棲し始めて間もなく、パートナーから「結婚しよう」という話が出たとき、「実は私、卵子凍結してるんだよね」と打ち明けた。いつか子どもを産みたいという思いで卵子を保管していること、保管期限が45歳までであることを話した。それまでパートナーは、新たに子どもを持つことは考えていなかったようだったが、「君が望むならチャレンジしてみようか」と促してくれた。

 それは、待ちに待ったタイミングのはずだった。パートナーができ、やっと妊活に本腰を入れて取り組める。年齢から無事に出産できる可能性が低いことは分かっているが、挑戦できる環境は整った。だがこのとき、自分でも意外な思いがじわじわと広がった。

「これから子どもを持つ……果たして、私は本気なのか」

 このとき、42歳。授かれるかという不安よりも先に「本当に欲しいのかどうか」という疑問が広がった。これから出産となると、1~2年は仕事から離れることになる。子どもが幼いうちは、全力で仕事をするのが難しい場面も出てくるだろう。部長職は大きな抜擢だったが、出産後に同じポジションに戻れるとは限らない。

「責任ある立場になった今、このタイミングで子どもを産むというのはどうなのか……」

それまで積み上げてきたものがどうなるか分からないという不安も大きかった。何事も決断は早い方だが、こればかりはどうしても、すぐには決められなかった。3カ月間、仕事の傍らで、悩みに悩んだ。人生で一番、答えの見えない葛藤に包まれた期間だった。ある朝、目覚めてシンプルに思った。

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来世があったら産んでみたい