対談は明るい雰囲気で行われた
対談は明るい雰囲気で行われた

ーー辛くなかったのですか?

 辛くないんだよな。これが俺の個性なのか、後天的なものか分からないんだけどさ。例えば八百屋さんの息子、娘がいたとして、親は八百屋さんのほうが忙しくて朝から晩まで働いてたら、家事を手伝うじゃん。そこに寝たきりのおばあちゃんがいたら介護もするじゃん。これ、みんなから褒められるんだよ。「そんな小さいのにおばあちゃんの介護をして、家の家事までして偉いね」って。言われたら子どもって嬉しいじゃん。俺そういう子たちって辛くないと思うんだよね。自分の生きる意味ってあるんだって、どっちかというとそう思っちゃうから。

 お笑いをやった若手の頃とかは、普通に面白話としてこういう話を喋っていたのよ。だけどウケない。俺は「お前馬鹿だな」っていう感じで言ってほしいのに、みんな「大丈夫か」とか言ってくる。おかしいな、みんな俺が思っているリアクションと違うな、これあんまり面白くないんだと思っていた。本当35歳とか40歳ぐらいになって、なるほど、ウケないじゃなくて、俺が不幸って思われていたのかって気づいた。

■家に帰って温かいみそ汁とご飯があったら……

――今振り返ると、当時の生活や家庭の状況をどう思いますか?

 よく悪い道に走らなかったなって思う。俺みたいな人が100人いたら、たぶん95人は悪のほうに行くと思うんだよね。でも、お笑いってマジで多様性の塊じゃん。みんな優しいし、とにかく笑うから、なんとか悪事に手を染めずにここまでこられた。今思うと、あの壮絶な少年時代があったから芸人になったし、芸人を続けられたし、普通とは違う切り口で笑いを取れたりしているから。

 でも実際問題、あのとき誰かが手伝ってくれたり、俺の話を聞いてくれたりしたら違っただろうとは思う。芸人にはなっていなかったかもしれない。家事も大変だったからね。妹はほぼ子守に近かったから。家に帰って、温かいみそ汁とご飯と魚とかがあったら、なんて楽だろうと思ったりはしました。

 ヤングケアラーの子たちは、いい大学を目指したいって言っても希望も折られていくじゃん。それで悪の道に進んでも、その子たちを責めるのもちょっと酷かなと思う。俺は運が良かったけど、普通だったら、ここでたかまつななとヤングケアラーがどうなんてしゃべっている身分じゃないんだろうなと。俺は大人になってから周りに恵まれたと思う。

暮らしとモノ班 for promotion
2024年この本が読みたい!「本屋大賞」「芥川賞」「直木賞」
次のページ
「お笑いの力が大きいと思う」