――妹さんの面倒も見ていたんですね。
そこまで手厚くはやっていなかったと思うけど、俺がやっていたんだろうね。母親は寂しかったんだろうね。母親は中卒で、父親は高卒なのさ。両親が20歳とか21歳のときに俺を産んでるから、お母さんは社会に出ていないのよ。働いてもいないし。お父さんだけがよりどころで、いなくなっちゃったから心が崩壊していってという感じだから。
■中学・高校の6年間、ヤングケアラーだった
――1日のスケジュールはどんな感じだったんですか?
中学1年だから忙しいのよ。学校も普通に行って部活もやって帰ってきたから意外と時間もなくて。バレー部に入って、朝練をやっていたからさ。朝6時に起きて、部活をやって8時に学校に行くでしょ。授業が午後4時に終わって6時に部活が終わるよね、そこからご飯を作るよね。洗濯して8時。そこから勉強して10時に寝るとかだから。
――ヤングケアラーだった期間はどれくらいですか?
家事は小学4年くらいのときからやっていたね。母親がダメになってから父親が帰ってきて地元の北海道に戻るのさ。中学2年から高校3年まで北海道にいた。その間もずっと母親が闘病中だったから、中高6年間ぐらいかな。
――家族の世話をしていることで、自分の生活に支障はありましたか?
友達とは遊んでいなかったね。でも俺は別に遊びたくなかったんだよな。北海道に帰ってから、中学2年から高校3年まで新聞配達を朝夕やるのさ。それは生活のためとかじゃなくて、小遣いがほしくて。だから青春がマジでないのよ俺。誰かと手をつないで歩いたとかそんなのもなくて。友達はできなかったね。
――周囲に相談できる人はいなかったんですか?
相談する人はいなかったし、相談するほどのことでもないと思っちゃったんだよね。もし30年前にヤングケアラーって言葉があれば、もしかしたら俺がそうかもって思って、学校の先生とかに相談できたかもしれないけど。