俳優の岩谷健司(左)と居酒屋で幾度となく芝居について語り合ってきた。最近はそこに息子で俳優の岡部ひろき(右)も加わるようになった。「シルエットとか若いころの岡部によく似てますよ。声がいいのも、親譲りだよね」(岩谷)。(撮影協力/風流四季)(撮影/門間新弥)
俳優の岩谷健司(左)と居酒屋で幾度となく芝居について語り合ってきた。最近はそこに息子で俳優の岡部ひろき(右)も加わるようになった。「シルエットとか若いころの岡部によく似てますよ。声がいいのも、親譲りだよね」(岩谷)。(撮影協力/風流四季)(撮影/門間新弥)

 工業高校の土木科に進学し、卒業時はバブルの名残で就職には困らなかった。だが大手建設会社で現場監督として働くも、これがまったく肌にあわなかった。1年で辞めて実家に戻ると、母は案の定「なんで辞めんねや!」と大騒ぎ。やりたいことも見つからないまま、トラックの運転手や喫茶店で働いた。地元の友達とつるむのは楽しかったが、次第に「このまま和歌山におってもなあ」と鬱屈した思いが芽生えてくる。ぼんやりと「芸能人になりたい」と思うようになった。

 そんななかで知ったのが、柄本明が座長を務める「劇団 東京乾電池」。たまたま大阪での公演を観て、驚いた。「こんなちっちゃい声で芝居するのか!」。演劇とはワーッと声を張るものだと思っていた。研究生の月謝は1万円。これなら払えそうだ。東京でオーディションを受けてみようか。最終的に背中を押してくれたのは、当時の恋人で後に妻となる女性だ。「一緒に行っちゃるから行きなよ! そんなびびってやんと!」「ええ? ほんま、来てくれる?」と、上京を決めた。

■前を向けなかった卒業公演 恋人からは「辞めたら?」

 オーディションでは全身白のスーツで大真面目に尾崎豊の「I LOVE YOU」を熱唱した。面接中、柄本はずっと笑っていた。本気でヤバいやつが来た、と思われたらしい。合格し、1年間自分たちで台本を書き、演技をするレッスンを繰り返した。柄本はたまにしかレッスンに来なかったが、その存在は怖く、大きかった。

「例えば携帯電話を普通に拾う、というだけでも、柄本さんがやると、なぜかおもしろい。それが本当に不思議でした。『演技っぽい』ところが入ってないんだと思うのですが、どうしたらあんなふうにいられるのか、当時は全然わからない。僕、全然演技できなかったですから」

 まずぶつかったのが言葉の壁だ。標準語と身体的な感覚が一致せず、セリフを言っていても気持ち悪くてしかたない。卒業公演の脚本を担当したが、これがまた地獄。まったく筆が進まず体重は激減、十二指腸潰瘍になった。当日の舞台では恥ずかしくて前を向けず、体がどんどん後ろに下がっていく。観に来てくれた恋人もさすがに「辞めたら? 向いてへんで」と言った。

 が、必死さが伝わったのか、何にも染まってないのがよかったのか。正式に劇団員となり3年を過ごす。この間に結婚、息子が生まれる。だが「何かが見つかってない」感覚がずっとあった。

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