タイのメソトにある人権団体「政治犯支援協会」内にあるミャンマー・インセイン刑務所の模型(撮影・増保千尋)
タイのメソトにある人権団体「政治犯支援協会」内にあるミャンマー・インセイン刑務所の模型(撮影・増保千尋)

 2011年に民政移管したミャンマーでは、15年に民主派政党の国民民主連盟が総選挙に勝利し、党首のスーチー氏が事実上の政権トップに立った。だが、男性によれば、その後も国軍は国政に大きな影響力を持っていた。スーチー氏は国軍を優遇する憲法の改正にてこずり、70年以上続く少数民族との内戦を和平に導けなかった。さらに17年に起きたイスラム系少数民族ロヒンギャへの迫害においても国軍の責任を追及できず、国際的な名声を失った。

「クーデター前も、ミャンマーの民主化は形だけだった」と指摘するその男性は、88年の民主化運動と同じ状況が繰り返されるのではないかと危惧する。あのときにデモに参加した若者たちもみな聡明(そうめい)で、誰もがすぐに民主化を達成できると思っていた。だが結局、デモは軍によって粛清され、その後23年間も軍事政権が続く。

 クーデター以降、国軍の暴力による死者数は3600人、逮捕者は2万3千人を超えた。だが、たとえ収容されていなくても多くの市民が苦境に立っていると男性は言う。

「ミャンマーはいま、国全体が刑務所のようです。自由もなく、人々は暴力に怯(おび)え、生活は困窮しています」

タイ・メソトのミャンマー人街。道行く女性の多くがミャンマーの白粉「タナカ」を顔に塗っている(撮影・増保千尋)
タイ・メソトのミャンマー人街。道行く女性の多くがミャンマーの白粉「タナカ」を顔に塗っている(撮影・増保千尋)

■強制送還の恐れも

 安全を求め、国内外に避難した人の数は、すでに158万人を超えた。タイ北西部にも民主派が多数逃れているが、彼らに心の平安はない。大半が当局の目を盗んで越境しているため、法的身分が保障されていないからだ。タイ警察に見つかって賄賂を要求されるだけならまだしも、ミャンマー国境警察に引き渡され、強制送還される恐れもある。ゆえに移住者の多くが明日の見えない潜伏生活を送る。

 タイ北西部の国境地域はもともとミャンマーから出稼ぎに来た移民が多く、劣悪な条件下での就労や賃金の未払いといった労働問題や人身売買が横行していた。同地域の主要都市メソトに拠点を置くアラカン労働組織の代表ネインアウンアウン(35)は、「クーデター後に避難者が増えているせいで、ミャンマー人労働者に対する人権侵害も急増している」と状況の悪化を懸念する。

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