「住み慣れたわが家で最期を迎える」ことをかなえる(提供:医療法人ゆうの森)
「住み慣れたわが家で最期を迎える」ことをかなえる(提供:医療法人ゆうの森)
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 家族の延命治療をするか、しないか、について医師から迫られたとき、「そのまま逝かせてください」と決断できる人はどれくらいいるのだろう。記者の母(83歳・要介護5)は肺炎を機に入院したが、1カ月過ぎて「経口摂取不可」の判断が下され、「禁食」に。今後は何かしらの延命治療をするか、死を待つか判断を迫られた。家族に相談し、「もう少し生きていてほしい」という願いを本人に伝え、受け入れてもらえたが、本当に良かったのだろうか──。いつかくる、大切な人の「最終章」に備えよう。

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 日頃から大切な人の「もしも」に備えて話し合う「人生会議」はよく話題になる。読者の多くの方も、「管だらけになってまで生きていたくない」などと周囲に話されているのではないだろうか。

 とはいえ、回復する可能性があるかもしれないのに、その時点で何もしない、延命をしないという決断を潔くできる人がどれだけいるのだろうか。生きる力を引き出すための「口から食べるプロジェクト」に取り組む桜十字病院本市)の医師、安田広樹さんも疑問を口にする。

「ほとんどの人が、経管栄養法や経静脈栄養法の種類も特徴もメリットもデメリットもわからない医療の素人で、近日中に決断してください、と言われて本当に決断できるものなのでしょうか。人生会議をやっていたから本当に悔いのない選択をできるのかというと、それは難しいんじゃないかな、というのが私の正直な思いです。人生会議をすることが無意味と言っているのではありません」

 松山市で在宅医療専門クリニックを運営し、看取り期の意識変革について積極的に発信している医師の永井康徳さんはこう話す。

「自分の大切な人の命に関わる重大な決断をするのは重荷です。自分がどう生きたいかは割とはっきり答えられても、人の命になるとすごく重い。何が正解かわからない。だから私は選択肢を全部伝えた上で、いつもこう言っています。『一回決断しても何回変わってもいいですよ』『一緒に悩みましょう』と」

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