そして、看取り期の医療については、
「治す医療を追求して日本の医療は発展してきました。僕らも病気をとにかく早く発見して治そうというふうに教えられてきた。そういう医療しか学んでこなかった。しかし『多死社会』になって亡くなる高齢者が多くなり、食べられなくなった高齢者に対してどういう医療を施すべきか。治せなくても患者に寄り添って、どんな最期を迎えたいのかを大事にする。看取り期にはそういう医療が重要だと思っています。最後は無理に医療をせず、自然に見送るほうがいいと思っています。ただ、一人ひとりにとって最善は違います」
との考え方だという。
■看取り期の医療 穏やかな死へ
母の話に戻る。
禁食になる前に嚥下(えんげ)リハビリができる療養型病院への転院も考えた。事前の面談で病院に行ったが、母の診療情報提供書を見た担当者からは「リハビリを続けるのは難しい」と言われ、ショートステイを利用し、在宅で延命治療を続けていこうと思った。
ケアマネジャーに訪問介護と訪問看護事業者を選んでもらい、ケアプランも作り、足りないところは自費で介護福祉士や看護師を雇い、介護するプランを立てた。
しかし肝心のショートステイ先が見つからなかった。母のような医療依存度が高い状態の人を受け入れてくれるところがなかった。多いときで1時間に1回のたんの吸引が必要で、寝返りも打てない。看護師らが常駐していないと厳しいようだ。
では、私一人で24時間、在宅介護ができるかといえば自信がなかった。私が倒れたら誰も母を看られない。苦渋の決断で、新たに療養型病院を探し、そこに移すことになった。
とはいえ「家で死にたい」と言っていた母を、私はどこかのタイミングで自宅に戻すつもりだ。最後のたった1週間でも、住み慣れたわが家の匂いに包まれて、逝ってほしいからだ。
『穏やかな死のために 終の住処 芦花ホーム物語』などの著書がある医師の石飛幸三さんは、世田谷区内の特別養護老人ホーム「芦花ホーム」の常勤医。
「命には限りがあるということをまず知るべきです。その上で大事なのは平穏に死ぬことです。芦花ホームでは死ぬギリギリまで医療をするのではなく、看取り期に入った利用者には穏やかに死を迎えられるような支援をするようになりました。余計なものを捨てて身を軽くして天に昇っていく。それが自然な最期だと私は思っています」
と話す。