ただ、延長期間は1年が多かったようだ。55歳以後の給料も基準内賃金の7~8割ほど。それでも、定年延長を好機とする企業もあった。記事では日本初の総合石油化学メーカーとして設立された三井石油化学(現・三井化学)を例に挙げる。

<同社の創業は昭和三十年だが、本格的に操業開始したのは三十三年四月のこと。従業員は三井化学、三井鉱山、三池合成、東洋高圧など三井系企業からの出向社員だけで始った。しかも、五十五歳定年後、嘱託ではいった人が六十人近くいた。一ばん若い産業が一ばん年とった人びとの手で始められたわけだ。

 石油化学で必要なのは筋肉労働ではない。ふくざつな計器を監視する高度の管理労働である>

“人生100年時代”といわれる現在、推進されるシニア人材の活用を先取りした発想だったといえるのかもしれない。

 68年に起きた金嬉老事件は、立て籠もった温泉旅館に報道陣を招き入れ、テレビで国民に民族差別を訴え、「劇場型犯罪」と呼ばれた。金嬉老は当時39歳の在日コリアン2世。金銭トラブルから静岡県清水市(現・静岡市清水区)で暴力団員2人をライフル銃で射殺後、静岡県・寸又峡温泉の旅館に入る。ダイナマイトを持ち込み、旅館主の家族と宿泊客の13人を人質に取り5日間にわたって籠城した。

 だが、人質を銃で脅したり、傷つけたりするようなことはしなかった。駆けつけた報道陣ともコタツで和やかに“記者会見”を行い、テレビを通じて在日に対する差別を糾弾した。別の事件で清水署で取り調べを受けた際、朝鮮人差別発言をした警察官に謝罪させるよう要求する一方、責任を取って自殺するとも語った。3月8日号は事件の詳報を伝えている。

<最初は、オッカナビックリだった報道陣も、平気でダイナマイトの積んである部屋にはいるようになり、あるいは金と親しげに話をするようにもなった>

 報道陣を前に冗談を飛ばすこともあった。

<「けさ新聞を見たんだが、オレと“会見”した記者の中に、飛びかかりたい衝動にかられた人がいたそうだな。これからは油断できんよ、アッハッハ……」

 報道陣もつられて笑った。変な風景であった。しかし、こうしたつき合いが金にスキを与え、逮捕のきっかけを作ったとしたら、これも奇妙な“記者会見”の、ひとつの“功績”といってよかろう>

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