安倍氏の後継者争いがありますが、保守がどうこうは関係なく、単に権力基盤を継承したい、ということだけでしょう。
安倍氏は自分のことを「闘う保守」などと言い、自身の著書『美しい国へ』では「わたしが政治家を志したのは、ほかでもない、わたしがこうありたいと願う国をつくるためにこの道を選んだのだ」などと情緒的なことを言っていますが、保守というものは、こうした情緒的な人たちに対し、その活動を静め、地に足をつけた議論をし、折り合いをつけるところにあります。これまでの制度を否定し、自分の思いや理念を国民に押し付けるのは人治国家の発想です。
では、安倍氏の正体は何か。安倍氏はTPP(環太平洋経済連携協定)の参加を強行採決し、移民政策を前のめりに進め、ウォール街の証券取引所で「もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました」などと発言した人物です。安倍氏の主張は新自由主義の政策であり、完全にグローバリストです。
「安倍氏が日本を悪くした」という見方がありますが、それは視野が狭い。安倍政権が取り組んできた構造改革、新自由主義的な経済改革、貿易の自由化の推進、積極的な国際貢献などといった政策は、1990年代から始まっていました。小沢一郎氏が『日本改造計画』を公表し、55年体制が終焉。その後も小泉劇場、民主党政権が出てきた。「改革」という名のもとに平成の30年間をかけて国を壊す政策が進んできた。その総仕上げが、安倍政権の誕生だったと思います。
安倍氏を暴走させたのは、論壇の責任もあります。批判の声をあげていたメディアは何の影響力のある言葉もつむぎだせませんでした。それは安倍氏を「保守」や「右翼」として扱い、前提が間違っていたからでしょう。
安倍氏を「軍国主義」、「戦前回帰」とする批判もありましたが、それも的外れです。安倍氏は雑誌で「ポツダム宣言というのは、米国が原子爆弾を二発も落として日本に大変な惨状を与えた後、『どうだ』とばかりたたきつけたものだ」と述べていますが、歴史の順序は逆です。ポツダム宣言があって、原爆が落とされました。この程度の理解しかない人物に復古するための歴史観などあるはずがありません。