ローマ文明では、最盛期には8万キロメートルにまで及んだ街道を築き、ローマや最寄りの庁所在地からの距離を示すマイル標石(マイル塚)を設置することで支配力を知らしめていた。ちなみに、当時の距離の単位はマイルで、ラテン語の1000歩に由来する。現在の1480メートルだ。1歩の数え方、基準となる身体的な特徴などは文明とともに変化していくが、人体をサンプルにすることから離れるまでには長い時間が必要だった。
■フランス革命とメートルの意外な関係
広く通商を行う時代になると、地域ごと、文化ごとに用いられた個別の基準では取引に大きな支障が出る。布や紐の販売は、単位長さ当たりの単価に購入量を掛け算するが、相手が変わるたびに単位長さの変化が余儀なくされる。土地についても同様だ。商業活動や所有財産の評価に関しても、社会の最も弱い階層は、地域の権力者に翻弄される歴史が続いた。
ガリレオと共に始まった科学革命が測定システムを普遍的な基準に変えるには、さらに数世紀、100年単位の時が必要だった。
フランス革命は悲劇的な出来事として多くの物語のモチーフになっているが、旧来の時間的権力や宗教的権力からの解放や、新しい「革命的な」単位の基礎を生み出した側面もある。現代まで生き延びている「キログラム」と「メートル」の概念だ。これまでの「誰かにとって有利な基準」を廃止し、地球の大きさにその拠り所を求めたのである
1791年「パリを通過する子午線に沿って測量された北極点から赤道までの距離の1000万分の1」と定められた。
1799年、6年の歳月をかけて測量された長さを元に、後に「アルシーヴ原器」と呼ばれる白金の棒が製作され、1メートルを表す基準サンプルとしてフランス国立中央公文書館に保管される。
ヨーロッパ諸国にメートル法が定着するのは19世紀後半までまたなくてはならなかった。普及には長い時間と多くの労力が必要であり、レプリカの展示や学校の初等教育現場での奮闘が伝えられている。