ここで、葛藤が起きる。というより、葛藤しなければならない場面だろう。

 今回のLGBT法案に最初から反対しているのは、「同性愛者は悪魔!」「LGBTが家族制度を壊す!」といったカルト宗教や保守系の政治家だけでなく、男性身体に恐怖を感じる性被害者やそういう女性たちと連帯するフェミニストたちでもある。だからこそ複雑なのだ。LGBT法を「家族制度が壊れる」から反対しているのではない女性たちに「特殊な例を持ち出してトランスジェンダーを犯罪者扱いすべきではない」という批判もあるが、たとえ特殊な例であったとしても、実際に起きうるかもしれないことを軽視する理由はない。むしろ性犯罪者がトランスジェンダーであることを利用するなんてあってはならないセクシュアルマイノリティーへの重大な差別だ。だからこそ、この葛藤を乗りこえる道を諦めないで考えるべきだ。

 憲法学者の木村草太さんがTwitterで「『男女を区別しない場面で生じているトランスジェンダー差別の問題』と『男女の区別が要求される(正当とされる)場面での男女の区別基準の問題』とを分けて考えるのが、混乱を解消するカギだと思われる」とスマートにまとめていたが、体の性別を基準に区分されているスペースで、「性自認」をどのように定義するのか、法律にどのように組み込んでいくのか、「疑問を挟むこと自体が差別」と封殺することなく議論をしていきたい。

 与党に加え、維新・国民の修正案が加えられたLGBT理解増進法案は「LGBT差別増進法案だ」として、LGBT当事者の運動団体からも抗議運動が起きている。廃案を求める声は、女性スペースの安全を求める運動側からも出ている。「折衷案」でしかない法案ならば、誰のためにもならないのはその通りだろう。

 だからなんだ、という話でしかないが、私はLGBTにくくられるのはなんだか居心地悪いねと感じるセクシュアルマイノリティーだ。同性婚ができる国だったら結婚しただろうなという相手もいた。そして20代の時からずっと、生理用品や女性向けのセックスグッズや、トランス男性やトランス女性のサポートグッズを販売してきた。私はたまたま女性に生まれたが、女に生まれたというだけでなぜこんな理不尽な思いをしなきゃいけないのか、とフェミニストになった。ジェンダーなんて邪魔だと思っているし、「心に性別がある」とはどういうことか分からない類いのフェミニストである。もちろん当事者として、当事者に寄り添うLGBT法案によって救われる命があることも分かっている。心からセクシュアリティーで差別されない世界を生きたいと思う。一方で、女性たちが不安に感じている起きるかもしれない暴力は、女の体で生きてきた身としてはリアルな懸念だ。性は決して安全地帯ではない、この社会で女の体は徹底的に不利で、搾取され続けている。

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