夏の甲子園優勝投手の実績を引っ提げてプロ入りも、1勝もできないまま打者に転向したのが、愛甲猛だ。

 81年にドラフト1位でロッテに入団した超高校級左腕は、端正なマスクが女性ファンのハートを虜にし、バレンタインデーには280個ものチョコレートが届くチームきっての人気者になった。

 キャンプから1軍に帯同し、開幕も1軍スタートだったが、人気先行の客寄せ的イメージは否めなかった。

 4月6日の西武戦で8回にプロ初登板をはたした愛甲は、チームが前期優勝を決めた翌日、6月25日の西武戦でプロ先発のマウンドに立った。

 しかし、初回に死球と連打で2点を失うと、2回も1死から四球、安打、死球と制球が定まらず、山崎裕之に押し出し四球を与えたところで、早々と降板。1回1/3で自責点6という散々な結果に……。

 自著「球界の野良犬」(宝島社)によれば、前夜の祝杯の酔いが覚めない状態での登板だったそうで、本人も「当然ながら通用するはずもない。ビールの味とともに、ほろ苦い初先発だった」と回想している。

 だが、2度目の先発となった9月23日の近鉄戦、5回まで投げ切ることを目標にマウンドに上がった愛甲は、切れの良いカーブと外角への速球を有効に使い、4回までハリスの三塁打と犠飛による1安打1失点に抑える。2点リードの5回に2本のタイムリーで同点に追いつかれたが、6回は三者凡退に切って取り、プロ初勝利への夢も膨らんだ。

 3対3の7回、疲労から球威が落ちたところを森脇浩司の3ランなどで4点を失い、2敗目を喫したものの、6回まで3失点とまずまずの内容。この日の結果次第で打者に転向させるつもりだった山内一弘監督も「もうしばらく投手として様子を見たい」と結論を先送りした。

 その後、愛甲は83年にリリーフでチーム最多の48試合に登板も、敗戦処理やワンポイント中心の便利屋的な起用が続くうち、攻撃的な気持ちを失っていった。

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愛甲猛が投手を“諦めた”理由は?