作家・画家の大宮エリーさんの連載「東大ふたり同窓会」。東大卒を隠して生きてきたという大宮さんが、同窓生と語り合い、東大ってなんぼのもんかと考えます。今回も高田万由子さんとの対談の様子をお届けします。
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高田:私ね、裏方のほうが好きなの。
大宮:えー、いつ気づいたんですか。
高田:デビューして結構早い段階で、秋元康さんに「高田はさー、もう女版秋元康になれよ」って言われたんです。そのときは意味が全然分からなくて。でも、しばらくして、秋元さんとまた一緒にお仕事させていただいたときに、番組前の会議ではアイデアがいくらでも出るのに、実際に収録が始まると全くアイデアが出てこなくなっちゃって。
大宮:会議と同じことを言うのに飽きちゃったんですかね。
高田:何かね、私、才能ないなって。表に出てキャッチーな言葉でポンと人の心をわしづかみにするようなセンスがないんです(笑)。そのうちイギリスに引っ越したりで、あまりテレビの仕事はしなくなってきたかな。
大宮:才能はすごいでしょ、秋元康さんが認めるくらいだから。で、役よりアイデア出す方に面白さを感じられるんでしょう。移住はいつ?
高田:夫は結婚する直前まで3年間、セリーヌ・ディオンとワールドツアーを回ってて、「僕はいつかどこかの海外に住んでみたい」って言ってたんです。彼には世界的に有名になる音楽家としての才能があると信じていたので、まずは映画音楽の仕事を探しにハリウッドに行こう!と言ったんです。そうしたらロンドンがいいって。まず1年と思って身の回りの必要な荷物だけ持っていきました。娘は8歳、息子は0歳でした。
大宮:行動が早い!
高田:その1年の間に、夫はずっと家でバイオリンの練習してたんだけど、発表する場を作ってあげたいと思ったんですよ。近くで1500人弱入るホールを見つけて、ここでコンサートしよう、と。ホールのマネージャーからは「これは誰だ」って言われたけど、ホール代は払うし、私が全部責任持つからと交渉しました。でも、どうやってお客さんを入れたらいいだろうと思って、チラシを作って、スポンサー集めに走って、大使館に相談して。それが、あっという間に完売したんですよ。それから13年、ロンドンで毎年夫の演奏会の裏方をひとりでやっていました。
大宮:プロデューサー経験もないのに、いきなり海外で公演ですか。
高田:英語は片言で話せたけど、イギリスに行って、初めて英語を学んだみたいな感じだったかな。
大宮:不安とかなかったですか。