「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害のある子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出合った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。
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ここのところ、医療的ケア児の17歳の長女のけいれん発作が安定し、体調の良い日が続いています。私の日々の予定は長女の体調に大きく左右されるため、この安定期はとても貴重です。
今回は、長女との生活を書いてみようと思います。
■たびたびの救急搬送
長女は双子の次女とともに、出産後にNICU(新生児集中治療室)を経由して退院しました。当時は生後3カ月。早産児が本来の出産予定日だった日を基準に発達をみる「修正月齢」はまだ0カ月でした。
脳性まひと診断されたのは生後2カ月のとき。脳性まひは少しずつ身体に変化が現れるので、この時点での2人には全く差がありませんでした。
「もしかしたら、奇跡的に何も起こらないかもしれない」と思えるほど、退院してしばらくはとても穏やかに過ごしていました。
ところが、生後11カ月の頃に起きた長女のウエスト症候群(難治性てんかん)のけいれん発作によって、その後の我が家の生活は大きく変わりました。
発作に気づき、慌てて病院に電話をすると救急搬送の方が良いと言われ、 初めて119番に連絡をしました。自分で救急車を呼ぶのはこの時が初めてでした。受話器を取って「119」と押すだけで本当に消防につながるのかも、健常の次女も一緒に救急車に乗れるのかも分からず、誰にも助けを求めることができない「大人1人と0歳児2人」という状況がとても心細く、涙が止まらなかったのを覚えています。その後、2~3年の間はたびたび救急搬送がありましたが、救急隊の方は毎回とても優しく、不安な気持ちが和らぎました。
■いつも気が張っていた
けいれん発作は突然起きるため、普通ならすぐに動くことができない場面でも対応が必要です。長女は入浴中や睡眠が浅い時間帯に大きな発作を起こすことが多かったので、お風呂上がりで自分の髪の毛がぬれた状態だったり、部屋の中がぐちゃぐちゃのまま眠ってしまった翌日の明け方だったり、洗濯物を取り込んでいる途中で発作に気づき、半分以上ベランダに残したまま救急車に乗った時もありました。こうした非日常な状況が続くとメンタルに響きます。この頃の私は、けいれん発作に備えていつも気が張っていたように思います。