黒木の前の「54」は、86年にドラフト1位で入団した石田雅彦だった。2年目に左肘を痛めた石田は「1軍に生き残れるかどうか大事な時期に無理をした」ことが祟り、登板わずか2試合で94年オフに現役引退、打撃投手になった。そして、「54」は翌95年入団の黒木に与えられた。

 都市対抗で優勝に貢献し、逆指名(2位)で入団した黒木は、社会人時代と同じ「11」を希望していたとあって、「オレは期待されていないのか」と落ち込んだが、そんな矢先、石田が「お前のために54番を温めておいた。だから、ジョニーはきっと活躍できる」と励ましてくれた。

 意気に感じた黒木は、95年6月30日の日本ハム戦で、プロ初勝利を完封で飾ると、ヒーローインタビューで「54番はジョニーですので、よろしくお願いします」とアピール。97年から5年連続二桁勝利を挙げ、“魂のエース”と呼ばれたのは、ご存じのとおりだ。

 黒木の引退後、ロッテの「54」は、デスパイネやレアードら、主に外国人選手が着けていたが、今季は3季ぶりに復帰したリリーフエース・沢村拓一の新背番号になった。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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