
AERAで連載中の「この人この本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。
タイ、ラオスの少数民族が話すムラブリ語。世界で1人か2人しかいないムラブリ語研究者の伊藤雄馬さんが、15年にわたる研究と自分の人生を振り返った初の著書だ。
『ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと』では、言葉と文化の話だけにとどまらず、伊藤さんの青春記にもなっている。同書にかける思いを聞いた。
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大学生だった伊藤雄馬さん(36)がムラブリに注目したのは、人類学の授業で「世界ウルルン滞在記」の映像を見たときだった。
「ムラブリ語の音の響きがとても印象的でした。歌うように高くなっていって裏声に到達し、余韻が残る。この言葉を調べたいというより、自分が喋りたいという欲求で研究を始めました」
タイやラオスの山岳地帯に住むムラブリは、ムラ(人)、ブリ(森)という名前の通り、森に生きる少数民族だ。イモ、動物、魚などをとって暮らしている。総勢約500人のうち村に定住している人もいれば、森の中をグループで移動しながら生活する人もいる。
伊藤さんは現地で失敗しながらムラブリの言葉と文化に迫っていった。暦がなく、「明日、調査に行ってもいいか」とたずねると、「明日のことはわからない」と言われてしまう。感情表現が控えめで、そもそも感情という言葉がない。日本語とは逆に、否定的な気持ちのときは「心が上がる」と言い、ポジティブなときは「心が下がる」と言う。
森で暮らす人たちはテレビや携帯電話のある生活を見て知っている。それでも自分たちは森に帰っていく。
「楽なんでしょうね。森の中で生きる術を持っていて、竹や木で住むところを作ることもできる。若い頃は町に出たいと言って、専門学校に行って泊まり込みで勉強する人もいるんですけど、戻ってくる人がほとんどです」