■おニャン子が「女性アイドル歌手」を殺した
「素人」が本物の芸能人よりエライとされていた風潮を、そのまま体現していたのがおニャン子クラブです。
おニャン子クラブは、1985年4月、「夕やけニャンニャン」の放送開始とともに結成されました。活動コンセプトは、深夜番組「オールナイトフジ」に出演していた女子大生アシスタントチーム・オールナイターズの高校生版。オールナイターズは、一般から募集された現役女子大生のグループで、大変に人気がありました。
おニャン子クラブの会員は「本物の『普通の高校生』が、クラブ活動のノリで芸能人をやる」というイメージで選ばれていました。このため、歌やダンスといった「芸事スキル」に長けているタイプより、「素人」の匂いがあからさまな少女が多数派でした。どのメンバーからも、「何が何でも芸能界で生き残る」という執着は、みじんも漂ってきません(同じ秋元康がプロでデュースするAKB48が、「頑張って夢を手に入れる姿」を前面に打ち出しているのと好対照です)。
「素人」がありのままでテレビに出て、本物の芸能人より大きな顔をしていること。それが「素人こそエライ時代」には重要でした。「素人」丸出しのおニャン子がブラウン管を占拠している――その光景を見て視聴者は、「素人」である自分の、プロに対する勝利を確認していたわけです。
おニャン子クラブは大人気となり、翌年の86年にかけて、芸能界の話題を独占しました。そして、おニャン子ブームが最終的にもたらしたのは、「女性アイドル歌手」というカテゴリーの終焉でした。
おニャン子ブームが去ったあとにも、宮沢りえや観月ありさ、広末涼子など、アイドル的な人気を集めた女性タレントはいます。ただし、彼女たちの活動分野は女優が中心で、「アイドル」と呼ばれることもありませんでした。おニャン子以後、女性芸能人に「アイドル」の名を冠するのは、「グラビアアイドル」のような場合に限られます。
「女性アイドル歌手」は、若い男性の「幻想のなかの彼女」になることで人気を得ます。美しすぎたり歌が上手すぎたりする相手には、恐れ多くて「彼女にしたい」という妄想は抱けません。ハリウッドスターのような高嶺の花ではなく、身のまわりにひとりぐらいいるかわいい子――「女性アイドル歌手」は、そこを目ざしてプロデュースされます。プロフェッショナルに見えないよう、周到に仕立てあげられたプロフェッショナル。それが「女性アイドル歌手」です。その頂点に、正真正銘の「素人」が君臨してしまったのがおニャン子ブームでした。
おニャン子の成功は、手のこんだナチュラルメイクより、ノーメイクのほうがウケてしまった状況に似ています。ノーメイクのポイントがいちばん高いのであれば、化粧する人はいなくなります。同様に、誰でもなれるのが「女性アイドル歌手」なら、それに憧れる人はいなくて当然です。
おニャン子のなかには、工藤静香のように、しっかりとした歌唱力をもった人材もいました。それでも、グループとしてのおニャン子クラブが、「素人」の集団であることを売りにしていたことは確かです。結果、「アイドルとなるためのハードル」が下がり、「女性アイドル歌手」という称号のブランド価値は失われました。おニャン子ブームのあとに、「女性アイドル歌手冬の時代」が来たのは必然です。
■「自分を見つめる目」の確かさ
小泉今日子の「なんてったってアイドル」は、おニャン子ブームが絶頂にさしかかった1985年11月に発売されました。小泉今日子のレコーディングディレクターだった田村充義は、
<「セーラー服を脱がさないで」がその年の7月に出て、その辺りからシーンが変わって、「この先はおニャン子の天下になる、よっぽど頑張らないといけない」と思って、すごく頑張った曲が「なんてったってアイドル」です。>(注1)
と発言しています。「女性アイドル歌手」というフィールドを焼け野原にしようとしているおニャン子に対し、既成アイドル陣営が反攻をこころみたのがこの曲といえます。
小泉今日子当人は、こんな曲は歌いたくないと思っていたようです。
<みなさんがよく私の代表曲に挙げてくださる「なんてったってアイドル」なんて本当に歌うのがイヤでしたから。「またオトナが悪ふざけしてるよ」って(笑)>(注2)
ただし一方で、「客観的に見て『この曲を歌えるのは私だけだろう』っていう自信はあったし、そういう周囲の期待を感じてはいた」とも述べています。(注3)
「なんてったってアイドル」の4年後、小泉今日子は「KOIZUMI IN THE HOUSE」というアルバムをリリースします。そのころ流行しつつあったハウスミュージックのテイストを取り入れた作品です。
「小泉今日子はもともと、ハウスなんて好きなわけでもくわしいわけでもなかった。事務所の命令で歌わされているだけ」
このディスクにそんな批判を向ける「ハウスマニア」もいました。この件について、小泉今日子はこう言っています。
<当時はまだ多くの人が聴いたことのない、もしかしたらとっつきにくい音楽だったかもしれないけど、私という存在自体はわかりやすいですから。仕事の現場や遊び場で知り合った近田さんや藤原さんとファンの間に私が入れば、聴いていただけるとは思っていました。だって私自身、「ハウスが好きか?」と聞かれれば、別に好きじゃないですから(笑)
もちろんカッコいいとは思っていたけれど、“ハウスの人”になりたいわけじゃない。言ってしまえば、冷やかし気分だったからこそ、みなさんにとってちょうどいいカッコよさを探れたんでしょうね>(注4)
なんとなくハウスにあこがれている「部外者」だったからこそ、一般人にとって「ちょうどいいカッコよさ」を探れた――自分について、ここまで冷静な発言をできる人物はまれです。ふつうの歌手なら「もともとハウスに熱心で、けっしてニワカじゃなかった」と弁明するところです。
こんな具合に、みずからの価値を冷徹に見切れるのが小泉今日子の強みです。新しいことに次々挑戦して失敗しないのも、この強みのおかげが大きいといえます。
そういう彼女が、「なんてったってアイドル」は私にしか歌えないと思った理由は何だったのでしょうか。