2014年12月15日の今、美輪明宏公式サイトの「音楽会」を見ると、10月に開催される予定だった名古屋の『美輪明宏/ロマンティック音楽会』延期のお知らせがある。「急性喉頭炎で声が枯れており、残念ながら未だ十分な歌唱が行えない為、本公演を延期とさせて頂きます」と説明があり、その下に、美輪明宏、自筆の手紙が掲載されている。その文字を見ると、きちんとした方なのだなと、わたしにでもわかる。
2015年の1月には次の公演が控えているようなので、一日も早い快復をお祈りする。
さて、美輪明宏といえば、歌手であり、役者であり、声優としても活躍しているが、エッセイなどもたくさん書いている。わたしは、《メケメケ》も《ヨイトマケの歌》も大好きだが、著書から伝わってくる考え方に共鳴するところが多い。
たくさんの著書があり、わたしも何冊か読ませていただいたが、今回は、『人生ノート』という本を紹介する。
この本についてあれこれ書くより、いくつか目についた文章を抜粋しよう。
「努力なしではなにごとも成功せず」
「人間は動物として生まれてきて、勉強努力しながら磨きをかけていって、やがて人になっていくのです」
わたしが若い頃は、「努力」という言葉になぜか抵抗があって、こういう表現には拒否感すら感じたものだが、年齢を重ねてきたためか、最近は、まったくその通りだなあ、と素直に思えるようになってきた。
「見るものや読むもの、こういうものは目からおいしいものを食べる栄養剤」
「文化と肉体的に必要な栄養と、その両方のビタミンが揃ってはじめて健康な人間になるわけです。精神のビタミン剤である文化とは何かというと、いい美術に接し、いい本を読み、いい音楽を聞いて、スポーツをしてということです」
「男は強くて、女は弱い?」
「『男とは、現実的で神経がずぶとくて強いものです。女は、ロマンティストで神経が繊細で弱いものです。』と、昔から男女の相場はこういうふうになっているのだといい古されて、みんな、そんなものかと思い込んでいました」
でも、最初にいわれた言葉はこうだ。「男とはロマンティストで、神経が繊細で、生理的にも精神的にも弱いから、すこしでも現実的で神経をずぶとく持ち、強くあれかし」だった。「女は現実的で、神経がずぶとくて強いから、すこしでもロマンティストで、神経を繊細に保ち、弱くあれかし」だ。
「男が仕事をするのも、外へ行くのも飲みに行くのも、いつも夢見てるの、『だれかいい女に会うんじゃないか』とね。女は夢なんか見ません。現実です。だから、女は強いのです」
「人生はプラスとマイナス」
「この地球にはどうにも動かしがたい、揺るぎない法則があります」「正負の法則といいます」「『楽あれば苦あり』『吉凶は禍福はあざなえる縄のごとし』『栄枯盛衰は世の常なり』」
「この世は魂の修行場、道場なのですから」
「道場とは楽なところではありません。つらくて苦しいものです。しかし、この世は生まれてから死ぬまで、心の修行をするために道場としてあるのですから。つらいのはあたりまえです。しかたがありません。逃げるわけにはいきません。ですから悪口をいわれても裏切られても、どんなひどい仕打ちをされても、それがあたりまえなのですから、何をいまさら泣いたり嘆いたり驚きあわてることはないのです。はじめからもともとひどいところと覚悟ができていれば、あくどい仕打ちをされても、どんなひどい目にあっても、それに負けることはありません。ほい、おいでなすった、と軽くいなしてやりすごせばよいのです」
「なまじこの世に天国などを期待するから、しっぺ返しを食うのです。いい思い、楽な思いをするのは、修行のあいまに汗を拭いて一服するほんの短いあいだだけなのです」
「そして、すぐまたつらい稽古が待っているのです。しかしだれでも道場に通うときは、道場とはつらく苦しいところだからとはじめから、開き直りの精神で通いますね。どうせこの世は道場だもの、ひどい目にあうのがあたりまえだという気持ちで毎日を暮らして過ごせば、少々のことが襲いかかってきても、びくともしなくなるものです」
引用で十分なような気もするが、すこしはわたしの出番もあった方がよいかと思うので、2枚の写真を見ていただこう。
美輪明宏の人生に、浅からぬ縁があったと思われる二人の写真だ。
1枚は、三島由紀夫。三島は、美輪の自伝『紫の履歴書』の一番最初の版(1968年)に、序文を寄せている。わたしは生前の三島由紀夫には会っていないが、1985年、製作総指揮:フランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカス、監督:ポール・シュレイダーで映画化された『ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ』の記者発表の取材に行き、コッポラを撮影した。そのうしろに三島由紀夫が写っている。『ミシマ』は日本では公開されず、わたしも記者発表のときの試写で見たきりであったが、最近、友人がアメリカ版のDVDを持っているというので、借りて観た。三島と彼の書いた小説の世界とが交互に語られる構成で、よくできていると思う。三島ファンのかたは、もし可能ならば、観ることをオススメする。
もう1枚は、寺山修司。1967年、寺山修司の演劇実験室・劇団天井桟敷が旗揚げした。『青森県のせむし男』や『毛皮のマリー』に主演している。『紫の履歴書』でも、当時、寺山夫人であった九条英子が美輪を訪れ、これらの作品を、寺山が「丸山明宏(美輪の本名、当時はこの名前で活動していた)をイメージにおいて書いたので、それ以外のひとで公演することは考えられない」と出演依頼に来たエピソードを紹介している。
寺山修司は、1983年47歳で亡くなっているが、わたしは、亡くなる数カ月前に写真を撮影している。友人が発行していた映画雑誌の取材依頼に応えて、寺山は入院中の病院を抜け出して、渋谷の東急ハンズの前にあった喫茶室ルノアールまで来てくれた。土色の顔で、体調が思わしくないことが一目でわかった。このとき、36枚撮りフィルムを3~4本撮影したのだが、編集者に渡したきり行方不明になっている。わたしの手元には、おさえで撮影した3枚のネガが、今は残っているだけだ。今回は、その3枚のうちの1枚を見ていただこうと思う。
美輪明宏は、いろいろなものと闘って生きてきた人だと思う。今度の病にも打ち勝って、ふたたび舞台に立つことを切に願う。[次回12/24(水)更新予定]
■公演情報はこちら。
http://o-miwa.co.jp/category/recital/