『アルゲリッチ 私こそ、音楽!』 映画パンフレット(撮影:谷川賢作)
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 まず最初に、間違いなく今まで私が見てきたミュージシャンの伝記映画の中で、一番感動した作品です。この「ほめちぎっ」の名にかけて全身全霊をこめて、一人でも多くの方にこの映画を見てほしい。アルゲリッチファンであろうがなかろうが、クラシックが好きとかロックしか聴かないとかそんなこと関係ありません。断言! 生きることが好きな人、悩んでる人、調子にのってる人、呆然愕然としてる人、その他のなんでもない人、とにかく誰にでも全員に「効き」ます。全編クスクス笑えて、しんみり泣けます。ああ、じれったい。あまりに惚れ込んでいるので今から震えちゃいますよ。プルプル(犬かお前!)

 しかし「私こそ、音楽!」ってまあ大きく出てしまいましたが、もちろんそんな上から目線の映画ではなく、生身のマルタ(親愛の情をこめてそう呼ばせて頂きます(m_m)が、あるがままにあるという、奇跡のような映画なのです。この「あるがままにある」ということをきっとどの伝記映画も目指してはいるのだろうけど、結果「おお、ありがたや、ありがたや、この方は神じゃ」な単なる崇拝映画に落ち着いてしまうのはなぜなのだろう? 一つには周囲の音楽仲間、プロデューサー連、取り巻きたち(画面右か左隅に肩書きの字幕付き)の「証言」とやらで綴られていくというところに問題がある。そしてその勝手なてんでばらばらな証言から「浮き彫り」にされる「実像」だと? あのね、「実像」はくどくどと人から解説してもらうものではなく、こちとらはアーティストの音や匂いや色や沈黙や饒舌を切り取った剥きだしの映像から、五感で感じ取りたいだけなんだよ。わかるかい? そういう風に作ってちゃぶ台、お願いだから!

 原題は『BLOODY DAUHTER』。その名のとおり、この映画の監督である3女のステファニーさんが淡々とマルタの日常を撮って語っていく。いきなりのネタばれを許してほしいのだけど、まずしょっぱながステファニー自身の出産シーンで、それを前にしてドキドキ、オロオロしているおばあちゃんマルタ。このあっけらかんとしているがリアルで感動的な語り口からしてもう人の気持ち鷲づかみなのだけれど、あとはまあそこから次から次へと出てくるマルタの家族たち(前夫、娘たち、母)が、どの人もこの人もみんなユニークでこの上なく魅力的でかつ、ここが素晴らしいのだけど、全員がまずきちんと自分のことを語り(そういう風にステファニーが撮り、編集している)そこから自然にマルタとの関係がほのかに垣間見えてくる、という構成になっていることがこの映画を今までにない独創的な伝記映画にしていると思う。「証言」ではなく、各々の気持ちのめまぐるしい交錯が感動的なのです。

 そして、ステファニーの眼差しの強さったらない。鬱陶しがられようが開演直前だろうが寝起きだろうが、ひたすら真っ直ぐに正面からマルタを見つめるこの愚直さ! それは確かに実の娘だから撮ることを許されたというラッキーな一面はあるのだろうけど、偉大な母のキャリアをただなぞるのではなく、まるで不思議な生き物を観察するかのごとくひたすら追う、嘘のないこの頑固さにやられちゃうんだなあ。それで実際我々は、マルタの開演前の、まるで初めてのピアノ発表会に向かうこどものようなイライラも、寝起きにボサボサの髪のままぼそっとこぼす、シューマンがいかに「唐突な」作曲家で、そこを私は愛している、というつぶやきだとか、17の娘なのにまるで40のオヤジのようなドサ周り生活をおくらなきゃならなかった、と遠い目になるとことか、見るほどに聞くほどにマルタ・アルゲリッチという存在にのめりこみ、感じて愛してしまうのです。そしてもう一つ。時折インサートされる過去映像、写真の説得力とタイミングの良さにも、深くため息&ブラボー。一つだけ余計な念押しだけど、彼女のピアノがもんのすごいのは言うまでもない。どのくらいすごいか野球で言うと、川上と王と長嶋と落合を足して4で割ったくらいすごい(ああ、たとえる必要があるんか(^_^;)

 ステファニー、初監督作だということだけど、この分だと自分の母がテーマでなくてもまた素晴らしい作品を発表してくれそう。次作にも期待します!
 9月27日(土)よりBukamuraル・シネマ他にて公開です。必見\(^O^)/[次回9/22(月)更新予定]

■映画『アルゲリッチ 私こそ、音楽!』公式サイト
http://www.argerich-movie.jp/

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