ボラードとは、船を港に繋ぎとめておくための鉄の柱のことだ。ここにロープを巻いて繋いでおけば、悪天候の日でも、船はどうにか港に在りつづける。ボラードは船の拠り所のようなものかもしれない。
 吉村萬壱の長篇小説『ボラード病』は、港のあるB県海塚市を舞台にしている。この町はかつて甚大な厄災に遭った。そのために住民は自宅を離れて長い避難生活を余儀なくされ、ようやく故郷にもどってからは復興に努めてきた。読者は、この町に母親と二人で暮らす小学5年生の女子の視点を通して、復帰から8年が過ぎた町の様相を知ることになる。
 小学校では海塚市を讃える教育が徹底されている。住民たちはこぞって地元の魚や野菜を食べる。女子の同級生が次々と死んでいく。輪番で港の清掃活動に取り組み、回収したゴミの量を厳密に調べられる。みんなで何かにつけ「海塚讃歌」を歌う。住民同士の監視が厳しい。時に警察関係者らしき人物が誰かを追跡している。
 明らかに重大な問題があるのに、ないことにする。見なかったことにする。聞かなかったことにする。とにかくクリーンで平和な町、海塚。それが町の復興と安寧の絶対条件でもあるかのように住民自らが信じ込み、そう信じない者たちを排除していく。そうやって強引に願望を現実に化けさせ、それを拠り所にして生活する人々。
 この海塚市の病の物語を、東日本大震災後の被災地の話と読解するのは早計だろう。たしかにあの震災が起きたからこそ書かれた作品には違いない。しかし、ここに詳細に描かれた同調圧力の事例は、私たちがつい拠り所を求めて陥りやすいが故に、リアルに恐ろしく感じるのだ。いつだって、今だって、私たちは安易にボラードを求めて強者や多数の意見に倣っていないだろうか。
 母親の願いどおり海塚市の実相を見続けた女子はその後、悲惨な人生を歩む。だが、彼女は最後までボラード病にはかからなかった。

週刊朝日 2014年7月25日号

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