1966年春、『ブルースブレイカーズ・ウィズ・エリック・クラプトン』のレコーディングを終えるとすぐ、クラプトンは新たな一歩を模索しはじめる。メイオールとの仕事にはそれなりに満足し、バンドでのプレイには自信を持っていたが、なにかが物足りなかった。ベースとドラムスだけをバックに(つまりトリオで)強烈な演奏を聞かせるバディ・ガイのライヴにも触発され、「自分もフロントマンに」と思うようにもなったのだという。自叙伝にはそう書かれている。
ちょうどそのころ、グレアム・ボンド・オーガニゼイションのドラマーで、ジャズやアフリカン・ビートにも精通したジンジャー・ベイカーが彼に声をかけてきた。「バンドを組もう」。しばらく悩んだクラプトンは「ベースがジャック・ブルースなら」という条件を出した。じつはジンジャーは、やはりGBOに在籍していたことがあるジャックと何度か衝突していたらしく、人間関係に不安があったのだが、ともかくこうして新バンドがスタートしている。
秘密裏にリハーサルを重ねた彼らは66年7月にライヴ・デビュー。同時に録音も開始し、秋にかけて、デビュー・シングル《ラッピング・ペーパー》とセカンド・シングル《アイ・フィール・フリー》、ファースト・アルバム『フレッシュ・クリーム』を完成させている。ブルース音楽とジャズのインプロヴィゼイション、サイケデリック的感性の大胆な融合を目指す、ロック界初のパワー・トリオ、クリームの誕生だ。
当初クラプトンは「自分がフロントに」という想いも抱いていたが、この流れのなかで、優れたソングライターであり、複雑なフレーズをベースで弾きながら歌える(経験者ならおわかりと思うが、かなり難しい)ジャックがバンドの中心に立つようになっていく。2曲のシングルは彼と詩人のピート・ブラウンが書いたものであり、『フレッシュ~』はジャック作が3曲、ジンジャー作が2曲、残りは《スプーンフル》、《ローリン・アンド・タンブリン》などブルースのカヴァーという構成だった。
クラプトンは、時代の変化も敏感に受け止めつつ、「純粋なブルース求道者」から一歩その先に進んだギターを全編で聞かせてはいるものの、リード・ヴォーカルを任されたのはロバート・ジョンソンの《フォー・アンティル・レイト》のみ。遠慮があったのかもしれないが、この時点ではまだ曲づくりには関わっていなかった。[次回7/23(水)更新予定]