「がん細胞が非常に取りにくい箇所にあったためすべて取り切ることはできなかったようです。オプジーボはメラノーマに有効ということで、がん研究センターで免疫療法を続けることになりました。その後は、母は以前と変わりなく過ごしていました」
体に異変が生じたのは昨年7月のこと。強い息苦しさを感じてがん研究センターに入院した。
3日もすると信子さんは食事も取れるほど回復した。責任感の強い信子さんは早期の退院を強く望んだ。コロナで病床が逼迫していた時期だからだ。だが、医師の話では「心臓に爆弾を抱えているようなもので、いつ発作が起きるかわからない」とのことだった。深見さんが続ける。
「山崎先生が在宅ケアの態勢を整えてくださり、母は退院することができました。帰宅後しばらくは、母は家事もして元気でしたが、少しずつ体力が低下して11月末ごろからベッドでの生活になりました。12月に入ると、看護師さんは毎日、献身的にケアしてくれました。薬で息苦しさを取り除いてもらいながら、母の息は小さくなっていきました」
山崎さんは家族全員がそろうのを待って、死亡確認をした。信子さんを看取りながら、深見さんは家族の結びつきが深まったと感じたという。
「母は無事に人生を全うできて、それを家族で見送ることができました」
山崎さんが信子さんに「ありがとう。僕がそっちに行った時、忘れないでくださいね」と、声をかけていたことも覚えている。翌朝は清々しい気持ちで迎えられたという。(本誌・亀井洋志)
※週刊朝日 2023年3月17日号より抜粋