写真を見せるための新書。こういう試みが今まで皆無だったわけじゃないが、今までにあった中でこれがいちばんイイ。いや、実際は写真より文章のほうが多いのだが、挟みこまれる写真が、道路にころがってるビー玉みたいにキラッと光っては目に焼きつく。
 すべてモノクロ写真。そして、美しいものを撮った写真でもない。昔はふつうにあって意識さえされなかったものが、年を経て古くなって、誰にも顧みられることもなく消えていく。「これ、なんですか?」と聞く気すら起こらないような、路傍のガラクタがほとんど。その手のガラクタをモノクロで撮った大判写真集とか写真展などは今までにいくつもあり、そういうものには何の感銘も受けなかったのに、この小さな写真は、見ているだけでじわーっとくる。なんなのだろう、この差は。
 たぶん、文章の力だ。なぎら健壱は東京の下町のことを書くのがうまい。あんまりオシャレにもならず、下世話にもならず、淡々と書いてるその淡々さが「東京の下町で生まれて育った」感を自然に感じさせるのだ。私のようなヒガミっぽい者は、下町育ちをあまり押し出されると「そうかよ、東京の下町ったって東京のど真ん中だろ。都会育ちがそんなに自慢かよ」とすぐハラを立てるのだが、なぎら健壱に関しては怒りが湧かない。それは書き方もうまいこともあるし、「あえて古くて消え去るものを愛でるのがオシャレ」のようなあざとさを感じさせないからだろう(それこそが「なぎら健壱の超絶テクニック」なんだけど)。
 文章のほうは水のようにするすると流れていき、小さく載った写真だけが美しい記憶のように残る。でもそれもやがて忘れる。お茶屋の店頭で芳香を放っていた、ほうじ茶焙煎機の写真なんか、ここで見なければ一生思い出さなかったかもしれない。
 香りとともに蘇ってくる昔の思い出。でもそれは明日になれば忘れるだろう。忘れてもいいよ、と写真が言っている。

週刊朝日 2012年10月12日号

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