カンニング竹山さん(撮影/今村拓馬)
カンニング竹山さん(撮影/今村拓馬)
この記事の写真をすべて見る

 いまの世の中は検索すると様々な情報が出てくる便利な時代だが、お笑い芸人・カンニング竹山さんは、「便利だけど……」と危惧していることがあると言う。果たして、人間は自分の好きな情報だけに囲まれていていいのかと問う!

【写真】カンニング竹山のかつて憧れの存在でいまは「オッサンの先輩」はこちら!

*  *  *

 過去に検索したものからAI(人工知能)が判断してくれて、自分自身が好きな物の情報ってあがってきますよね。例えばAmazonで過去に買ったものやYouTubeで検索した番組のジャンルから、AIが必要であろうものや興味のあるものを選んできてくれる。

 冗談で「なんでコイツ、俺のこと知ってんの!?」って、AIに向かって言ったりするんだけど、それはAIが嗜好の傾向から出してきているわけです。

 便利だな、すごいなと思う反面、そのことによる弊害もあるなと思ったんですよ。弊害って言うとおおげさだけど、AIが勝手に選んでくれることによって、自分の好きな情報だけに囲まれて、結局、他の情報を探そうとしない。自分の好きなものだけに囲まれていると、逆の意見を聞き入れない世の中になってしまうのではないか?

 好きなものもあれば、その反対に嫌いなものもあるわけです。賛成の意見もあれば反対の意見もある。好き・嫌い、賛成・反対で分けてしまうのではなく、その先に本当は議論しなければいけないことがあると思うんですよね。賛成、反対の意見があって。議論して、なおかつ、自分が思ってもいない反対の人の意見を聞いて、「昨日までこういう風に考えていて、自分でも発信していたけど、ちょっと違ったな」とか、認め合っていくのが、正しいあり方なのではないかと思うんです。

 あまりにも自分の好きな情報で周りを固めているために、それが鎧兜(よろいかぶと)になって、自分と関係ない情報や意見を聞かないというか、そもそも対話の席にも着かない世の中になってきているなと思う。

 先日もABEMAの報道番組『#アベプラ』で「"人それぞれは"考えない言い訳? 多様性の時代"正しさ"とはどう作るべきか議論」の回でも出演者たちと話し合ったんですけど、自分の意見を変えることは実はいいことなのではないか。なぜかというと、人間って日々成長しながら、色々な人の意見を聞いて、「昨日まではこう考えていたけど違った」とか、「違うまでではないけど、こういう意見も認めたほうがいい」とか、「この意見に納得した」とか、昨日までの考えから、あるきっかけで考え方が全く変わってしまうというのはアリだと思う。

次のページ
それ、何の意味があるんだ?