写真はイメージ(GettyImages)
写真はイメージ(GettyImages)

 それなのに、人の意見が変わるのを認めない世の中に向かっているのを感じるのが、Twitterで出てくるコメント。以前の考えと違ったことを書き込むと、「コイツは2年前はこういう意見を言っていたのに!」とか批判されるけど、それって、よく考えると、何の意味があるんだ? 人間って、日々成長していくものだから意見が変わっていくというのは、それはそれで認め合わなければいけないと思う。意見を言ったそばからコロコロ変わるというのとは違いますよ。人間が日々成長していったことにより、以前の意見と変わったりするのは、それはそれでいいことだと思う。

 そうした、Twitterの例を見ていると、意見が変わることを認めない世の中になりすぎていると思う。「オマエは白って言ってたじゃないか!」となってしまったら「いや、実はいまは黒が好きなんです」と言ったところで、「いや、オマエは2年前に白って言っていた!」となり、さらには「オマエは信用できない」とまで言われてしまう。

 そういうのを認め合うことが本当はいま大切なのではないかと思うんです。弊害とまでは言わないけれども、情報過多な時代にAIによって好きな情報に囲まれていることが、すごく、我々の成長を止めていないか? 色々な人と議論したり対話したりすることの妨げになっているのではなかろうか? もちろん、勝手に上がってくる情報を便利に使っているところもあるにはある。でも、便利に見えて、それによって、人間が日々成長していかなければならないのを阻害というか、止められている気がする。

 自分が嫌いなものや、自分の考えと違うことでも、それが好きな集団もいるわけじゃないですか。例えば、俺と同年代のオジサンでアイドルを推している人たちがいる。俺はひとつも興味ないけれども、アイドル推しの人たちと話して、何が好きなのか、何が楽しいのか聞いてみると、もしかしたら共通する考えもあるかもしれない。「そうか、それは楽しいよね、人生」っていうことも見つかるかもしれない。

 一番大切なことって、そういうことだと思うんですよね。違うものを認めたり、議論したり、受け入れるところは受け入れる。それをはなからしない世の中になってきているのはAIのせいだけではないけれども、情報過多という時代においては、AIは大きな要因のひとつなのではと考えたりする。

■カンニング竹山/1971年、福岡県生まれ。オンラインサロン「竹山報道局」は、昨年4月1日から手作り配信局「TAKEFLIX」にリニューアル。ネットでCAMPFIRE を検索→CAMPFIREページ内でカンニング竹山を検索→カンニング竹山オンラインサロン限定番組竹山報道局から会員登録

▼▼▼AERA最新号はこちら▼▼▼