宮沢さんの妹は生まれた直後からいわゆる「医療的ケア」が必要な生活をしていた。
「24時間、誰かがついていないといけないので、夜間は両親が交代で仮眠をとりながら見守りました。親が外しているときには短時間でも自分や弟がついているという状況でした」と、宮沢さんは当時を振り返る。
「痰(たん)の吸引などの医療的ケアを含むケアもありましたが、慣れれば子どもでも難しいことではないので、家事の手伝いをするような感覚でやっていたと思います」
夕方になると家族総出で入浴の世話をした。それで友だちと遊べなかったり、疲れたりもしたが、それ自体はそれほど苦ではなかった。つらかったのは、自分の状況を周囲に打ち明けられなかったことだ。
「妹は成人し、自立生活を送った後、昨年他界しました。重い障害がありながらも、自立し、前向きに生きた妹を誇りに思いますが、当時は障害のある妹がいることに恥ずかしさを覚えて、友人とか、まわりに言えなかった。その後ろめたさがしんどかった。でも、そんなことを話しても、別にどうなるわけでもないと思っていましたし、自分の中で無理やり消化していました」と吐露する。
さらに、宮沢さんはこう語った。
「最近のヤングケアラーの報道を目にすると、まわりに言えない、相談できないといった当事者の声が紹介されますが、すごく共感できます。私もそうでしたが、自分からSOSを出して、助けてください、と言える人は少ない。そのため、支援をする側からすれば、ヤングケアラーは、『発見』すること自体がとても難しいと思われます。自分が子どものころは、ケアをする側が支援対象となることなど夢にも思わず、神戸市として全国に先駆けて支援を開始したことは非常に感慨深い。一方で、ケアラー自身がSOSを発しやすくするには、ケアをしていることを恥ずかしいと思わなくてもよい社会となることも必要であると思います」
国の調査報告書も指摘するように、ヤングケアラーは家庭内のデリケートな問題であるとともに、本人や家族に自覚がないといった理由から支援が必要であっても表面化しづらい。