『鬼滅の刃』には、善良な人々を救う神々は登場しない。奇跡も起こらない。か弱き「ふつうの人間」が大切なものを失い、たくさんの人たちの死と、涙の果てに、強さを希求する。少年剣士・時透無一郎は、救ってくれない神と仏に代わって、その幼い体に傷を受けながら、血を流して戦う。
■“誰かの”幸せのために
だが、時透無一郎が守りたかった者は、もう彼の元には残されていない。母が死に、父が死に、兄が死んだ。では、無一郎はなんのために戦い続けたのか?
鬼滅の主人公・竈門炭治郎が、無一郎たちを思い浮かべながら、鬼殺隊の隊士のことをこんなふうに語っている場面がある。
「自分ではない誰かの為に命を懸けられる人たちなんだ 自分たちがした苦しい思いや 悲しい思いを 他の人にはして欲しくなかった人たちだから」(竈門炭治郎/23巻・第203話「数多の呼び水」)
家族を失い、記憶の一部を欠損していた無一郎は、「刀鍛冶の里」の戦いを通じて、大切なものを取り戻す。幸せだった過去の思い出と、新しい「仲間」だ。仲間たちと笑顔で語らうことが、無一郎の「幸せの瞬間」になった。
「一人ぼっちになってから つらいことや 苦しいことがたくさんあったけど 仲間ができて僕は楽しかった また笑顔になれた 幸せだと思う瞬間が 数え切れない程あったよ」(時透無一郎/21巻・第179話「兄を想い 弟を想い」)
「刀鍛冶の里編」では、時透無一郎が仲間のために必死になる姿、大切な人を思い出して涙する姿、年相応に笑う少年らしい表情を見ることができる。そして、後の「柱稽古」以降、無一郎は壮絶な戦いへとさらに突き進んでいく。『鬼滅の刃』のラストシーンを迎えるその時まで、時透無一郎の「生きざま」を胸に刻みたい。
◎植朗子(うえ・あきこ)
1977年生まれ。現在、神戸大学国際文化学研究推進センター研究員。専門は伝承文学、神話学、比較民俗学。著書に『「ドイツ伝説集」のコスモロジー ―配列・エレメント・モティーフ―』、共著に『「神話」を近現代に問う』、『はじまりが見える世界の神話』がある。AERAdot.の連載をまとめた「鬼滅夜話」(扶桑社)が好評発売中。