この記事の写真をすべて見る

 芸歴32年、いま、お茶の間の記憶に残る男として、TV出演急増中の芸人・チャンス大城(本名:大城文章)さん。そんなチャンス大城さんが自らの半生を赤裸々に語り下ろした『僕の心臓は右にある』について、芸人さんはもちろん、超有名タレント、超有名ミュージシャン、プロレスラー、作家、マンガ家さんなど、プロの方々からの絶賛ツイートが続々と上がっています。本書から、おとんと友達とのエピソードを一部抜粋、編集して紹介します。

*  *  *
 僕の実家のこともお話ししたいと思います。

 僕の家は、2階建てのまあまあ普通の家でした。1階に台所とひと間。2階に2間と、小さな勉強部屋がひとつ。そこに、両親と姉貴と兄貴と僕の5人で暮らしていました。おとんは隣の伊丹市にある工場で働いていて、おかんは地元の老人ホームで働いていました。

 おとんはいつも寝不足の久米宏みたいな顔をしていて、工場でブラジャーのホックを作っていました。おとんの工場はわりと大きくて他のものも作っていたようですが、おとんの部署はブラジャーのホックを専門に作っている部隊だと言っていました。

「ワシが日本の女性の胸を守ってるんや」

 これが、酔っぱらった時のおとんの口グセでした。

 一度、夜勤明けの時間におとんの工場を見学に行ったことがあるのですが、おとんは本当にブラジャーのホックを作っていました。ガッチャンガッチャンとプレス機が動くたびに、ピカピカ光るブラジャーのホックがどんどん出来上がるのです。

 同級生のサイトウとは、家の前でよく遊びました。

 尼崎はものすごくのら犬の多いところで、ある日、いつものように家の前でサイトウと遊んでいると、口に鉄の輪っかをはめた犬が通りかかったのです。

「すごい犬やなー」

 たぶん、人を噛まないように鉄製のくつわをはめられているのです。

 次の日、やっぱり家の前でサイトウと遊んでいると、また、鉄のくつわの犬が通りました。

次のページ
僕たちはくつわの犬の後をつけることに