釣りをしていると、周囲の人から声をかけられるという。要するに「教え魔」だ。
「えさのつけ方がなってないとか、こっちに糸を垂らせとか、いろいろ言われる。特に彭さんはエビを焼き方も丁寧に教えてくれた。もちろん焼き方は知っていたんですけど。それで友だちになりました」
すると、「ご飯を作るから食べにこない?」と、家に誘われた。彭さんはビルなどの建設現場で生コンクリートを流し込む仕事をしていた。業務は24時間シフト制で、会社が借りた部屋で同僚と暮していた。
馬場さんはすぐに彼らと親しくなり、「マーちゃん」と呼ばれるようになった。
■休みがとれると娘に会いに
「台湾では日本語が少し通じるんですよ。例えば、『石頭』のことを『アタマ(頭)コンクリ』という。『コッキ(国旗)』『タマゴヤキ(卵焼き)』とか。『これは日本語だよね』って、彼らから話しかけられたりする。自分のおじいちゃんは日本語教育で育ったから日本語がペラペラで中国語は下手だったんだよ、とか。日本人を見るとなんか懐かしいっていうか、親しみがあるみたいでした」
馬場さんは彭さん自然にカメラを向けた。
「私はいつもカメラを持っているので、それでカシャカシャと撮り出した」
台南から車で3時間ほどのところにある彭さんの実家にも足を運んだ。
「ちょっとでも休みがあると娘に会いに実家に帰るんです。泊まれなくても、ご飯だけ作って帰るとかしていた」
台湾は大家族が多く、彭さんの実家も両親と長男夫婦、姉が住んでいた。かつて彭さん夫婦もここで暮らしていたが、離婚すると妻は出ていった。その後、彭さんは2人の娘を実家に預け、台南、高雄、桃園などの建設現場を転々とするようになった。
「仕事は不安定なので、単身赴任というより出稼ぎという言葉がしっくりときますね。給料はいいので、働けるだけ働いているという感じでした。いつ実家に帰れるかは、わからない」
実家に戻った彭さんを写した写真には娘がかわいくて仕方がないという表情が写っている。娘たちもお父さんが大好きで、久しぶりに実家で過ごす間、3人はべったりだ。
■昭和のおじさんみたい
台湾では離婚すると男性が親権を持ち、父子家庭となることが普通という。
「台湾の男の人って、実家に住んでいる場合が多いので、離婚しても子どもの面倒を実家がみてくれるからだと思います。ただ、ご飯は食べさせてくれるんですけれど、養育費の補助はしてくれない。そのへんはシビアです。だから、彭さんは『ぼくが2人を育てなければならない』『俺は負けないぞ』という感じで、すごく意気込んでいた」