京セラとKDDIの創業者、倒産した日本航空(JAL)を再上場させるなど“経営の神様”として知られた稲盛和夫(いなもり・かずお)氏が8月24日、老衰のため京都市内の自宅で亡くなりました。90歳でした。稲盛氏が、自身の経営哲学などについて語った週刊朝日のインタビュー連載「これが私の生きてきた道」から、家族や子どもの教育、京セラを世襲にしなかった理由について語った内容を抜粋し、紹介します。
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―京セラ、JAL、盛和塾などで多くの部下、経営者を育てられました。家庭で3人の娘さんをどのように育てられましたか?
子どもの教育については、父親としては役に立っていないと思います。子どもたちの学校参観は一回も行ったことがありませんし、日常の面倒も見てあげられませんでした。
―娘さんからは不満の声は出ませんでしたか?
子どもたちには、「一緒に遊んでくれない、学校参観にも来てくれないと、さみしい思いをしているかもしれないけれど、お父さんにはお前たちだけでなく、会社に何千人という家族がいる。その社員のため、一生懸命、仕事に打ち込まなければいけない」と話していました。
―なぜ忙しいかを、きちんと話すことが、稲盛流の教育では?
子どもたちにしてみれば、父親の言い訳にしか聞こえなかったかもしれません……。キザな言い方かもしれませんが、親のうしろ姿を見て育ってほしいと思っていました。娘たちにつらい思いをさせているのだけれども、お父さんは会社のみんなのために頑張らなければならない。だから勘弁してほしいと。
―理解してもらえましたか?
黙って、頷きながら聞いてくれていたように思います。理解してくれたのではないでしょうか。子どもたちがまだ小学生の頃、ある日の夜中、こんなことを話したことがありました。「お父さんは会社の社長として、銀行からたくさんのお金を借りている。もし、会社が倒産すると、会社がつぶれるだけじゃない。社長であるお父さんは、会社の連帯保証人だから、この家も家具も全部、取り上げられてしまう」と。