―かなり現実的なことをお話しされたのですね?
はい。会社がつぶれたら、家財を取り上げられてしまうけれども、「多分、使っているお茶碗やお箸、鍋なんかは残してもらえると思う。けれども、そうなってはいけないと思って、お父さんは必死で頑張っているんや」とも言いました。
―娘さんたちはびっくりされたのでは?
娘たちが20歳を過ぎて、一緒に晩酌をしていた時に、長女から、「お父さん、あの晩の話、覚えてる?」と言われました。長女は当時、夜が寝られないくらい心配したそうです。「年端のいかない子どもにそんなキツイこと、よく言うわ」なんて怒られました(笑)。
―子育ては奥様まかせだったのですか?
はい。家内が全部やってました。例えば、家内はカナヅチで泳げないんですが、娘たちには小学校の頃から水泳を習わせました。おかげで皆、達者になりました。私も水泳は今でも大好きなんです。
―お孫さんに何か教育などはされていますか?
何もしていません。勉強しているか、とたまに聞くぐらいです。「今日はおじいちゃんがご馳走してあげるから、お寿司を食べにいこう」と機嫌は取っていますけど(笑)。
―ご家族では奥様と娘さん3人。男性1人ですが、どんな感じでしたか?
常に4対1ですよ。女4人で話が盛り上がって、私が蚊帳の外という状態はしょっちゅうです。でも、4人に責められるということはないですよ(笑)。
―稲盛会長は、京セラを世襲にされませんでした。なぜでしょうか?
一つ目の理由は、子どもが娘だけだったからです。二つ目の理由は、京セラは全従業員の幸福を追求するための会社で、稲盛家のものではないからです。三つ目の理由は、世襲してもうまくいくわけがないと思ったからです。
―なぜですか?
私自身、もともと経営者の素質があったというよりは、必死に会社経営をしていく中で、厳しい環境に育てられました。そこで経営者としての技量や人をまとめていく力を身につけていったと感じています。苦労していない人間が、世襲制で後を継いだとしても、それは私のDNAを引き継いでいるだけのことです。
―経験が人を成長させるわけですね?
経営者にとっては先天的な能力より、人生の辛酸をなめる中で開花していく後天的な能力のほうが重要だと私は思っています。会社がもうできあがっている以上、自分の子どもであれば、厳しい経験をさせることはなかなかできない。これでは経営がうまくいくわけがないし、道理に合わないと思ったので、世襲にしなかったのです。
※週刊朝日 2013年10月18日号