壺展の経験のあともN子さんはビデオセンターに通い続けていた。壺を授かったことをわがことのように喜んでくれたOさんは、相変わらず親切だった。ビデオ課程が一段落すると2泊3日の修練会へと進む。「この段階になって初めて、この宗教が統一教会で、文鮮明師が再臨のメシヤ(救世主)なのだ、聞かされました」。N子さんはそのまま信じ、のめり込む。やがて勤め先に辞表を出し、「ホーム」と呼ばれる信者たちの合宿所に入居した。

 Oさんが、この集団内では実は「チャーチマザー」と呼ばれる幹部的立場にあること、印鑑や壺、多宝塔などの販売が仲間内では「経済」とか「TV」という総称で呼びならわされていること、ビデオセンターも含め、すべてが関連し合った大きな網の中に自分がいたことも知った。やがて壺展や高麗人参展の接待係をするように指示されるようになった。

 自分が壺を買わされた時は、先生が「ご先祖様に祈って聞いてきます」とおごそかにいい、何度か中座するのを真に受けた。だが、実はタワー室と呼ばれる別室の中で、「先生」は祈るどころかタワー長と呼ばれる上司に客の状況を報告し、説得のための言葉や出させる金額について、お茶を飲みながら相談しているのを目のあたりにした。タワー室には、文鮮明氏夫妻の写真が額に入れて飾ってあった。「神の側へお金を復帰することが緊要だ」との教えを受け入れていたから、経済活動の実態を見ても、もう良心は痛まなかった。Oさんら先輩が、「TV勝利を日本の食口(シック/信者)が果たせなかったから、日航ジャンボ機事故が起きて、乗客が供えものになったのだ」などと真顔で話すのを聞いた。その言葉にさえ抵抗感をあまり覚えない心理になっていた。

■「土地に悪霊がつく」

「ちょっと話があるの」。ある日、Oさんに呼ばれた。「いまあなたが住んでいる家と土地はどのくらいの広さ? それを神に捧げてほしい。そう神の啓示があったのよ」とOさんはいった。きょうだいは家を出て、N子さんは独り住まいだった。田畑だけでも1ヘクタール以上。家は延べ200平方メートル近くある。迷いが渦巻いたが、「売ることが先祖を喜ばせることでもあり、正しいこと。いつかは皆にもわかってもらえる。ここで自分ががんばらなくては」と自らに言い聞かせた。

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