辯天堂は八角形のちょっと変わった形をしている
辯天堂は八角形のちょっと変わった形をしている
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 筆者が神社仏閣の記事を書くようになってから、毎年欠かさずお参りする祭事がある。それが、上野寛永寺の不忍池辯天堂の大祭である「巳成金」だ。筆者が神社仏閣ライターとしてのスタートが、このお堂であったことが最大の理由で、そのお礼と毎年のご報告という意味も兼ねて、毎年参拝するようになった。

●才能の神から財宝の神へ

 不忍池辯天堂の本尊は「八臂辯才天(はっぴべんざいてん)」で、巷で言う弁天さまである。弁天さまとは仏教発祥の地・インドにおいては、聖なる河が神格化された神さまで、河の流れる音の美しさから音楽や芸術、その才能を育てる神さまとして信仰されている。この神が日本へ渡り、「弁才天」がやがて「弁財天」と表記されるようになると、才能だけでなく「財宝」の神さまとしても広く知れ渡るようになっていった。

●江戸城守護のお寺のパワー

 このような根本を持つことから、弁天さまは今でも手に楽器を持つことも多く、また水と関わり合いが深い。不忍池辯天堂の弁天像も手に琵琶を持ち、上野の不忍池の上に鎮座することとなっている。以前にも何度か紹介をしているが、寛永寺は徳川家康が参謀でもあった僧侶・天海によって造られた江戸城守護のための徳川のお寺である。鬼門・裏鬼門などに江戸城の守護を配して、京都のような堅牢な都市を造りたいと願って、鬼門に配されたお寺である。京都の鬼門に位置する延暦寺を模して創建された寛永寺。琵琶湖に浮かぶ竹生島・宝厳寺に見立てられたのが不忍池辯天堂なのだ。

●暦から生まれた幸運の風習

 弁天さまの祭事、「巳成金」とは十二支の「巳」、十二直(暦に12個の吉凶などが記された)の「成=物事が成就する日」、そして五行(万物を組成する気。木・火・土・金・水の5つ)の「金(ごん)=堅固な性質を表す」の重なる日に、金銀など財宝を紙に包んで封じることで将来の富を願った、という習わしが元となっている。暦の運行の中で生じる、ある「金運祈願」風習が「巳成金」の始まりであると考えられ、そのご利益の評判の高さから多くの弁天さまを祀る寺社で「巳成金」を催行するようになったのだろう。中でも不忍池辯天堂の弁天さまの評判はひときわ高かったようだ。

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