■事実という名の石を置く

 こうした状況を、記者として少しでも改善する一つの方法は、ラビットホールの中に言葉を投げたり、あるいは直接手を差し伸べたりすることではない。むしろ、その穴の周辺を囲むように、できる限り多く、事実という名の石を置いておくことだ。その石は、穴に入ってしまいそうなひとを思いとどまらせ、穴から出られそうなひとがつかむものになるかもしれない。

 たとえば「Q」は《全体像を把握しているのは、両手で数えられるほどだ。その(10人以下)うち、3人だけが非軍人だ》と言う。信奉者はこれを「Qの正体」と考えている。でも、私の取材では、どうもそれは違う。一つひとつファクトを積み重ねる作業は、ウソを拡散・増幅させるよりも、ずっと大変な作業だ。でも、誰かがそれをやらなければ、ウソがより本当の顔をして歩くようになる。そんな社会は住みやすいものではないだろう。

 米国で連邦議会議事堂が襲撃されたように、誤った正義感は一線を越えた事件につながってしまいかねない。

 情報が簡単に国境を越える現代において、日本も陰謀論から逃れることはできない。Qアノンの派生団体「神真都(やまと)Q」の幹部らは、新型コロナウイルスのワクチン接種会場に侵入した罪で起訴された。

検察側の冒頭陳述によると、ワクチン接種の会場に押し入り、「抗議」を示す行為は「凸(とつ)」と呼ばれていた。「犯罪行為を犯している医者を止めにきた」「接種をすることは犯罪だ」――。被告らは、そんな言葉をぶつけていたという。

 陰謀論は、単なる「論」ではなく、ひとを動かし、ひとを傷つかせる。

 だからこそ、インターネット上で、実社会で、Qアノンのような陰謀論がどのように広がり、社会をむしばんでいくのか。その過程に目をこらさなければならない。Qを、Qアノンを、私はさらに追う。