福岡県警に移送される田中涼二容疑者(当時)=2021年4月
福岡県警に移送される田中涼二容疑者(当時)=2021年4月

 その半年後、田中被告は、またも進藤さんのもとにやってきた。

「九州に帰るから金を貸してほしい」

 申し訳なさそうな態度ではあった。

「連絡もしてこない人間に、何度も金は貸せません。ただ、僕もそこまで鬼にはなれないので、近所の中華料理屋に連れて行ってご飯を食べさせました。どこでなにをしていたのか知りませんが、よほど空腹だったのでしょう。がばがば食べていましたよ」

 進藤さんは500円硬貨を渡し、バスで市役所に行って生活保護の手続きをとるように伝えた。

 だが、やはりというべきか、その後は音信不通に……。

 8年ほどの月日が過ぎたころ、福岡県と鹿児島県のホテルで子ども3人の遺体が見つかった事件の容疑者として、田中被告が逮捕された。実子を殺害したホテルには田中被告が書いた遺書が残され、無理心中を図ろうとした末の犯行だった。田中被告はホテルの4階から飛び降りたが、一命をとりとめ子どもの後を追えなかった。

 どれだけ本気だったかは定かでないが、一度は更生を目指した田中被告が凶悪事件の容疑者になった。進藤さんはクリスチャンである妻とともに、福岡へ面会に行った。

「生きていてもしょうがない」
「死にたい」

 再会した田中被告の表情はうつろで、その言葉には、自らが犯した罪と向き合う姿勢はなかった。

 進藤さんは問うた。

「で? 死んでどうするんだ?」

「……」

 田中被告の答えはなかった。

 進藤さんは妻とともに面会や手紙のやりとりを重ね、聖書を説き、田中被告に問い続けた。

「殺した子どもたちとあの世で再会したとき、何も変わっていない父がそこにいるのか。犯した罪を見つめ、悔い改め、生まれ変わった父がそこにいるのか」

「死刑になってすべてを終わりにしたいと願ったり、罪から目をそらしたま刑務所で過ごすことを償いとは呼ばない」

 進藤さんによると、田中被告は幼少期から両親の愛情に恵まれなかった。父からは日常的に暴力を受け、母はそれを止めなかった。中学に入ると荒れた生活を送るようになり、両親はその後自殺した。最初の妻の父が暴力団構成員で、その父に誘われて組に入った。

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無期懲役求刑後に田中被告が手紙につづった心境