岩手県・天台寺での護摩法要(1990年)。寂聴さんは18年にわたり天台寺住職を務め、2022年2月には遺骨も納骨された(写真・勝山泰佑)
岩手県・天台寺での護摩法要(1990年)。寂聴さんは18年にわたり天台寺住職を務め、2022年2月には遺骨も納骨された(写真・勝山泰佑)

「だから、欲望をうまくコントロールして、いいほうに使えばいいのです。欲望がなかったら、何もしないのが一番いいんだから、文明というものはなくなりますわね。そうすると、原始にかえるわけでしょう。原始にかえったほうが幸せなのかどうか、かえってみないとわからないですが。あるとき、原発が爆発して、すべてがなくなるときがあり得るでしょう。だから、そういうことを考えたら、持っているものが非常に空しくなりますわね」

「今は捨てることがいいっていう思想がはやっています。でも私は、『それはちょっと待て』と思うんです。私は戦争中の物がないときに育っていますから、いかにマッチ一本でも、ハガキ一枚でも、捨てちゃいけなかったんですよ。一足の靴下をどれだけつぎをあてて使ったかわからない。そういう生活をしていますから、今の人が簡単に『捨てるのがいい、捨てたらさっぱりする』なんて宣伝していますけど、私、それはちょっと疑問なのよね。やっぱりもったいないですよ。そこにあるものはどんなものでももったいないという気持ちは、やっぱり人間としては捨てちゃいけないと思います。それは欲と違うのね。持っているものをとことん使いこなすっていうことね」

「今はもう、紙オムツを使ったら、ぱっぱぱっぱ捨ててますでしょう。だけど、私たちのころは、浴衣の古いのをお母さんが洗って使っていましたけれど、それは赤ちゃんの体にとてもよくて、決して不潔じゃなかったのね。そういうことがありますから、やっぱり何でもかんでも捨てるのは、何か欲がなくて潔いように見えるけど、そうではないと思うの。やっぱり物を大切にしなきゃならないと思いますね。そうすると、ため込むから欲張っているように見えるけれども、そうじゃないのね。やっぱり物の命をとことん使わなきゃ罰が当たるんじゃないかしらね」

 男性と付き合ったことがない、婚活に励んでも活路を見いだせない、という30代女性の悩みにも答えた。「なかなかご縁に恵まれず悩んでいます。親から独立し、外見を整え、仕事を頑張り、笑顔で過ごすように努力しているのですが、出会いがありません」と焦る女性に寂聴さんがまず伝えたのは、「急ぐことはない」ということだった。

「この方は35歳でしょう。今は女性の婚期が非常に遅れているんですよ。私が娘のころは、21歳で行かなかったら、22歳は二並びで行けない。それで、21歳で行かなかったら、23歳で行かないと、もう行き遅れになって、親が心配したものですね。そういう時代がありました。だけど、今の30歳になったお嬢さんなんて私の若いころの21、22歳ですよ、感じが。何もそんなに結婚を急ぐことはないと思いますよ」

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自分のことより「世界と自分」