そして「辞任は私の決断」と自ら責任をとったことを主張した山際氏に対し、岸田首相は「重要な課題を最優先するため」「国会運営を考えて」との前提で「了とした」と述べた。これは山際大臣が辞任を申し出たことは形式で、実際には更迭されたことを意味するものだ。
21年10月4日に岸田政権が発足して以来、山際氏はずっと経済再生担当相として居座り続けた。経済再生以外にも新型コロナ対策や全世代型社会保障改革、岸田政権が目玉とする「新しい資本主義」を担当した山際氏を内閣に押し込んだのは、甘利明前自民党幹事長だ。甘利氏は21年の総裁選でいち早く岸田首相の支援を表明し、選対で顧問に就任している。
そうした“功績”がものをいったのだろう。総裁選で勝利後、甘利氏は幹事長職をゲットした。しかし衆院選の小選挙区で落選し、比例復活に甘んじた甘利氏は、幹事長を辞任せざるを得なかった。
山際氏はそんな甘利氏の“分身”だったのではなかったか。第一線から退かざるを得なかった自分の承認欲求を代わりに満たしてくれる存在ではなかったか。山際氏は甘利氏の「一番弟子」として旧山崎派時代から行動を共にし、麻生派に入会した。同時に甘利氏が代表を務める「さいこう日本」にも参加している。
だからこそ山際氏は旧統一教会との問題を抱えつつ、それをあいまいなままにして内閣改造で留任を果たし、問題が次々と発覚した後も、だらだらと大臣の椅子に座り続けたのだろう。10月18日の衆院予算委で立憲の後藤祐一議員の追及に「これから何か新しい事実が様々なことで出てくる可能性がある」と答えたことは、まるで山際氏に“当事者意識”がないように見えた。
そのような2人には、上から引導を渡すしかない。
07年7月に安倍首相(当時)は、内閣改造で赤城氏を留任させない方針を示唆し、数日後に訪米の予定だった赤城氏は直前に農水相を辞任した。
山際氏の場合は今月24日昼に民放が「山際大臣辞任意向」を報じ、その流れを作っている。発信元は官邸(木原誠二官房副長官)だと言われ、夕方になって毎日新聞が確定事実として報じた。