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「内容がベタすぎて、わかりやす過ぎるんじゃないかなあ」
インタビュー中、藤岡亜弥さんはちょっと心配そうに、繰り返し口にした。
それは11月12日から入江泰吉記念奈良市写真美術館で開催する写真展「New Stories」の核心部分、「傷ついた風景の向こうに」のパートについてだった。
「テーマは原爆ドーム。どの写真にも原爆ドームが写っているんです。これまでずっと広島の街を歩いて撮影してきた写真の中から原爆ドームが写っているものを選んで、そこから広島が見えてくる、というつくりにしたんです。街越しに原爆ドームを見たり、原爆ドームから街を見たり」
2018年、藤岡さんは広島をテーマにした写真集『川はゆく』(赤々舎)で木村伊兵衛写真賞を受賞した。するとよく、「藤岡さんは広島出身だからこれが撮れたんだよね」と、言われた。
土門拳の『ヒロシマ』(研光社、1958年)以来、江成常夫、川田喜久治、土田ヒロミら、写真界の巨匠が広島を写してきた。藤岡さんの作品は先達の業績と比較され、揶揄(やゆ)された。
■「カタカナの広島」に背を向けた
藤岡さんは1972年、広島市のとなり、呉市で生まれた。高校を卒業すると上京し、日大芸術学部で写真を学んだ。2008年、文化庁新進芸術家海外派遣制度奨学生としてニューヨークに渡った。13年に帰国すると、広島市に移り住んだ。
「私は広島県出身ですけれど、このとき初めて『広島』を見たんです。市内に川が6本も流れているんだ、とか。ここに住みながら写真を撮り始めて、初めて実感することが多かった」
広島市で暮らし始めたことに深い理由はない。呉市の実家に戻ったものの、仕事が見つからなかった。広島市の写真スタジオで働くため、市内に引っ越した。要するに、生活のためだった。
「そこでアパートを借りて、アルバイトをしながら広島を撮ってみようと思った。『カタカナの広島』じゃない広島を撮ろうと思った」
「カタカナの広島」とは何か?
「原爆の被爆地としての広島です。そういうものはちょっと撮りたくないなっていうか、もういっぱいいっぱいだなっていう気持ちがあった」
藤岡さんが通った小中学校は平和教育に熱心だった。
「『はだしのゲン』の映画を上映したり、みんなで千羽鶴を折ったりして、原爆についてよく勉強しました。けれど、いくら平和学習をしても、ピンとこないというか、それほどリアリティーを感じなかった」