最近のSNSなどで、フェミニストやモノ言う女たちへのバッシングが激しくなっているのを感じる。わざわざ女だけが集まる場にいって嫌がらせをするアンチフェミな機運は、明治時代からあまり変わっていないのではないか。荻野吟子をはじめ、社会的地位を自ら勝ち取った女性たちが、男たちに買われる若い女性たちのために尽力し、公娼制度を禁止するために激しく運動するような状況も、今もまだ継続している闘いなのではないか。デジタル化された古い資料を国会図書館のパソコンで見ながら、体が熱くなるのを感じる。男女平等の憲法はある、法的な権利はそれ相応に得ている、そもそも公娼制度は戦後アメリカによって強制終了させられている。でもなにか根本的なところで……明治とどのくらい違っているの?

 女医会の歴史は戦後ももちろん続く。戦争中はナチス・ドイツの女性たちとの交流を持ち、長いあいだ女医会会長を務めた吉岡彌生は、八紘一宇への熱い思いを感極まったふうに記すような文章を残し、戦後は公職から追放される。一方で、女医会の再開には最後まで力をいれ、1955年に活動が再開されてからは女性医師たち、研究者の育成に女医会は一層の力を込めていく。4年前の女性差別事件発覚のとき、女医会会長の前田佳子先生が率先して声をあげてくださったことは本当にありがたかった。その前田会長は120周年記念式典で、日本のジェンダーギャップのあまりの酷さを語り、「異次元のスピードでジェンダー平等をなしとげよう」と宣言されていた。異次元のスピードで動かないかぎり、この遅れは取り戻しようがないところまでいってしまっている、ということだ。

 同じ職業を持つ女性たちが励まし合い、後続の女性たちに道をひらき、そして前を歩いてきた女性たちを記憶し、社会貢献しようと努める。そのような女医会が120年前につくられた。その事実は、あまりにも尊い私たちの希望なのだと思う。女性だけで集まる時代なんて古い、という声も聞こえてくるが、まだまだ女性たちがその領域を守り、声をあげなければいけない現実はあるだろう。1930年代、“東京女子医科大”があったおかげで、日本はアメリカ、ドイツに次いで世界で女性医師の多い国だった。それが今、最底辺レベルをうろうろしている国になっている。だからこそ、である。

 と、120年前と今、様々な思いを交差させながら女医会の講演を務めた。かなり緊張しましたが、その様子は女医会のHPで公開していますので、見てください――。

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