収入もあれば、養育費の支払いも可能だろう。毎月7万円前後を払っているという。ただ、壱成いわく、いまの自分の状態からすると「高いんですよ」。
「芸能界って支払いが遅いことも多々あるので、前妻に『今月は少ないんだ。これでごめん』と言って、7万円を切る月もあります。その代わり、収入が多い月は多めに送っています。平均すると7万円くらいなんです」
生活は楽ではないが、養育費は送り続けるつもりだ。
「ちゃんと養育費を払わないと、娘に会わせてもらえませんよ(笑)。娘と会いたいし、顔が見れないと、とても寂しいですので」
実は、壱成にはほかにもう一人の子どもがいる。3度の結婚と離婚をしており、最初の結婚でもうけた子どもだ。
壱成は1992年、17歳の時、フジテレビ系ドラマ「悲しいほどお天気」で俳優デビュー。その後、トレンディドラマのブームを作った脚本家の野島伸司氏に見出され、「ひとつ屋根の下」「未成年」「ひとつ屋根の下2」「聖者の行進」「リップスティック」といった数々の野島氏のヒット作に出演。90年代にスターの階段を駆け上がった。
当時は「存在感がある」「演技がうまい」「目が綺麗」と評され、熱心な女性ファンも多く、モテモテだった。
最初の結婚は2003年、相手はタレントで、2人の間には長男が生まれた。だが、3年後の2006年には離婚した。
「もう長男は19歳になるはずです。別れる時、元妻から『子どもは私に任せてほしい。そのかわり養育費はいらない』と言われました。約束をしたんです。だから、別れてからずっと長男に会っていない」
2度目の結婚は2014年、相手は青森県出身の一般女性だった。
「その頃、私はDJの仕事で青森に3カ月に1回くらいのペースで行くたびに、会っていたんです。そのうちに東日本大震災(2011年)が発生し、東京を出ようと思って、石川県に移住しました。石川県はいいところなので、好きなんですよ。昨年までで延べ10年くらいの期間は住んでいました。最初に住み始める際は、パートナーもおらず、1人で生活するのはムリだと思ったんです。それで、青森県の女性に一か八かでプロポーズしました」