「じわじわと和歌のリズムを体に入れることが、とても大切だと感じます。まずは意味がわからなくても、聞き流すだけでもよいのではと思います。中学に行けば、授業で古典を学びます。昔の仮名遣いや文法は、つまずきやすいところ。古文アレルギーの子は本当に苦手になってしまいます。初めて古典に触れるのではなく、耳なじみがあり、リズムがしみこんでいる子は強い。時間のある低学年のときこそ、百人一首の取り組みはおすすめです」
中学入試を意識したときにはどうか。
「いわゆる古典の知識を問うような問題は入試には出題されませんが、和歌が長文問題に出てきたことがあります。慣れていれば、焦ることなく試験に集中できると思います。受験を視野に入れるのであれば、季節感の理解に繋がる、情景を詠んだ和歌を覚えるとよいかもしれません」
南雲先生が中学の国語科の先生と話して感じるのは、「論理性とともに、情緒的な部分も大切にしたいという思いもあるようです。和歌や詩などの韻文を出題する学校は、学力に加え、これまでどういったものに触れてきたのかという家庭の文化にも、関心を持っているのでは」という。
「まずは、朝ぼらけの“ぼらけ”って何だ?“有明の月”ってどんな月?というように、言葉の響きの面白さや小さな疑問をすくいとって、興味につなげていくとよいかと思います。今は、百人一首を易しく解説した学習まんがも多く出版されています。気になった歌が出てきたら意味を調べてみるという活用もおすすめです。」
とはいえ、学力にも即効性や効率が求められる時代。どうしても百人一首は何の役に立つのかと影が薄くなってしまうところだが、南雲先生は
「そもそも学問にはそういう側面があります。自分に取り込まれた知識や記憶が、あれってこういうことだったんだと、あとになって気づいたり、繋がったりすることが大事になりますね。京都や奈良に行ったときに、百人一首に出てくる地名はここのことだったのかとわかる。あの一首はこういう時代に作られたのか、と歴史の勉強と紐づけられる。そんなふうに奥行きが出ると、面白いですよね」
そんな南雲先生にも、子ども時代に百人一首の記憶がある。
「たしか小学4年生のときでしたか、母が百人一首をテープに吹き込み、その録音を聞いて面白がって覚えました。姉が覚えるために母が工夫したことだと思いますが、それがなければ触れる機会はなかったと思うので、よかったなと今になってしみじみと思うんです」
(AERA dot.編集部 市川綾子)