ところが1年2年と介護が継続するにつれて、より深いところから、疑問がわき上がってきます。「それって本当?」「本当だとしても、私の人生を犠牲にしていいの?」「家族を犠牲にする介護って正しいの?」「介護がなかったら、自分はもっと違う人生が送れたはず」。
そして、次には自己嫌悪が起こります。「こんなことを考えるなんて、自分は親不孝だ」「人として恥ずかしい」、さらには、「おとうさん(おかあさん)は、こんな薄情な子どもに介護してもらって幸せなんだろうか」と。
介護の期間が長くなっていくと、自分の中で介護に何らかの意味づけを見いだせないと、つらくなってしまうのです。
■育児は迷うことなく突き進めるが…
思い悩むあなたは、私たち介護職との話し合いのなかで、「いったいいつまで続くんでしょうかね」とぽろっと本心をこぼしてしまいます。そんなとき私は、介護と育児との違いを思い浮かべます。
新生児、乳幼児は、自分一人ではなにもできない、例えてしまって申し訳ないのですが、いわば「要介護5」の存在です。育児は大変で、あなたは「いつまで続くんだろう」と悩むことはあっても、子育てには就学するまで、学校を卒業するまで、社会人になるまでなどの時間的な区切りがあり、それを目安に考えやすいという面があります。
そして何より、赤ん坊の存在は、女性を母親に、男性を父親にし、生きる自覚をもたせてくれて、人生の方向性をつけてくれます。さらには「この子を産んで育てるためにも元気に生きていくんだ」と、人生の意味や生きがいまで与えてくれます。しかも、このような子どもから引き出された生きがいを、あなた一人だけでなく、親や親族、社会と共有することができます。そのため、育児は迷うことなく突き進むことができるのです。
一方、介護はどうでしょうか。
「要介護状態のおとうさん(おかあさん)の人生を、快適に、安心してすごさせてあげたい」と考えても、どうしてもそこには空しさがあるでしょう。なぜなら、この介護が終わるときはつまり、おとうさん(おかあさん)とお別れするときだからです。状態に波はあっても長い目で見れば、もとの元気な姿に戻ることはなく、衰えていく一方だとわかっているからです。そして、介護が終わるときは親が死ぬときという空しいゴールが、いつ来るかわからない苦しさがあります。こればかりは、医師でも、私たち介護のプロでも、誰にもわかりません。しかも、家族や親族など、周囲の人の考え方が異なって、理解や協力を得られないこともめずらしくありません。