新型コロナの第8波による感染拡大で、医療体制が逼迫(ひっぱく)している。そんな状況のなか、注目されているのが「往診ドクター」だ。夜間・休日に都内全域や隣県などに医師を派遣し、薬も処方して渡す医師だ。食事を取る暇もなく、朝まで患者宅を駆け回る。そんな彼らの現場を追った。
辺りが暗くなり気温もすっかり落ちたころ、東京都立川市の住宅街に一台の車が止まり、運転席から上下緑の制服を着た田中直樹さん(40代・仮名)が降りてきた。これから患者宅に診察に向かう医師だ。匿名にしているのは「受験期の娘がいて、学校で風評被害を受けるのは避けたい」との理由からだ。
「今日は朝には帰れればいいな」
田中医師はそう言い、後部のトランクを開けた。オレンジをベースにした蛍光色の黄色のラインが入ったボストンバッグと、隣には銀色のアタッシェケースが置いてある。ボストンバッグには聴診器や血圧計、患者に渡す薬などが入っている。主に使うのはボストンバッグのほうで、銀色のケースには予備の機械や薬が備えられているという。
しかし、冬場でかなり冷え込んできたが、田中医師は半袖だ。寒くはないのだろうか。
「寒くないですよ。車から降りたら駆け足ですし、汗をよくかくんです」
重たそうなボストンバッグを持った田中医師は、この日最初の患者宅へ向かった。
玄関で家の呼び鈴を鳴らす。何度か鳴らしても出ない。いったんあきらめて車内で待機していると、少ししてから田中医師のスマートフォンが鳴った。その家で一人暮らしをしている68歳の女性からだった。
「お風呂入っていたから、今から来てよ」
田中医師が訪れる時間を忘れていたようだが、田中医師はそのことについては触れず、「今から向かうね」とだけ伝えた。女性は精神疾患を患っており、会話には慎重さが求められた。
今回は2度目の訪問で、コミュニケーションの取り方はだいぶ慣れた。田中医師は、落ち着いた口調でゆっくりと体調について尋ね、同時に体温や血圧、酸素濃度などを測った。