古賀茂明氏
古賀茂明氏
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 岸田文雄総理は、防衛費倍増に続いて子ども予算も倍増するという。防衛費を倍増するのだから、子ども予算も倍増しないと国民の評判が下がると考えたのだろう。

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 だが、この「倍増」という言葉が曲者だ。同じ倍増だから、防衛費も子ども予算も同等の扱いだと勘違いする人もいるかもしれない。しかし、実態は全く違う。

 防衛費の場合は、増税を極力少なくするため、病院を運営する独立行政法人の積立金から約750億円、政府による投資や融資の管理を行うための財政投融資特別会計にある資金から2000億円、為替介入のために貯めてある外国為替資金特別会計から1.2兆円などを防衛費のために流用することになった。いずれの資金も国民の財産だ。どうしてこれを本来の目的ではない防衛費に使うのかという説明は一切ない。

 この他にも国有財産の売却などで3兆円強を捻出するというが、これも国民の財産であり、なぜ防衛費に充てなければならないのか全く不明。わからないことだらけである。

 ただ、一つだけわかることがある。それは、財源を探して何か見つかったらまず防衛費に充てるということだ。

 今、国会や報道では、防衛増税に焦点が当たっているが、問題の本質は、そこにあるのではない。では、何が本質なのか。

 日本は太平洋戦争に負けて廃墟の中から立ち上がらなければならなかった。国家には無駄なことに資金を割く余裕はない。そこで、軍備は軽武装にとどめ、あらゆる資源を国民経済向上のために振り向けることを「国家の哲学」とした。

「戦争は金輪際行わない」、したがって自衛隊の規模は必要最小限のものとし、防衛費は概ねGDP比1%を上限とするという歯止めを設けた。こうした考え方が、「軽武装・国民経済最優先」という「国の形」として定着した。それが我が国経済の驚異的発展につながったのだ。

 戦後70年間、この「国家の哲学=国の形」を否定する指導者は出てこなかったが、安倍晋三元総理の時代になって、これを事実上否定する政策転換が始まった。しかし、声高に唱えるよりも、国民に警戒されないように少しずつそれを推し進めた感がある。

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予算案の変更は「国家の哲学」の変更